神様の願いはすべての人が自分の耳で神様のことばを聞き、自分の目で聖書を読むことです。そして従うことです。自分で直接見聞きすることなしに「牧師がこう言ったから」とか、「伝統だから」とか、「多数決だから」というだけでは神様の願いからズレていきます。聖書こそ、神様の霊によって僕らを矯正してくれる、生きて働く神様のことばです。(2テモテ3.16)僕ら人間は神様から離れて行っても気がつかないほど弱いものです。「みんながやってるから」「王様もやってるから」という理由で、イスラエルの人たちは偶像礼拝に流されていました。そんな中、神様が与えてくださった律法の書が発見されて、自分の耳と目で聞いたことで、ヨシヤ王は神様の怒りを知り、罪を悲しみ悔い改めました。神のことばによってだけ僕らは罪を知ることができます。ヨシヤ王は自分だけでなく、国民全部にみことばを聞かせました。
(2-3)
王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭司と預言者、および下の者から上の者まで、すべての民とともに主の宮に上り、主の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせた。
それから王は柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみなこの契約に加わった。
一部の人たちでなく、全ての人たちに神様は語りかけ教えてくださいます。そして国民全員が神様に従う契約に加わりました。神様のみことばを聞くと、自分たちがどれだけズレていたかがわかります。この時ヨシヤ王と国民は国をあげて罪をやめ、それを捨てることを決心し実行しました。
なんと、それまで神様の神殿の内部には偶像が満ちていました。彼らは次々と偶像を運び出します。さらに、神様の神殿の中で偶像礼拝に伴う売春行為が行われていました。しかもそれは男性同士の性行為でした。彼らはそれに関するもの全てを壊し運び出して焼き捨てました。
(4-7)
王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入り口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた祭具をことごとく主の神殿から運び出し、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれらを焼き、その灰をベテルへ持って行った。(…中略…)彼はまた、アシェラ像を主の宮からエルサレム郊外のキデロンの谷に運び出し、それをキデロンの谷で焼いた。それを粉々に砕いて灰にし、その灰を共同墓地にまき散らした。さらに、主の宮の中にあった神殿男娼の家を打ち壊した。
ヨシヤ王はまず主の宮からスタートしました。そして、それは国中に広がって行きました。彼はことごとく偶像を壊し、それに関する人を追放しました。
(8-12)
彼はユダの町々から祭司たちをみな連れて来て、祭司たちが犠牲を供えていたゲバからベエル・シェバに至るまでの高き所を汚し、門にあった高き所を打ち壊した。(…中略…)彼はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、だれも、自分の息子や娘に火の中を通らせてモレクに献げることのないようにした。それから、ユダの王たちが太陽に献納した馬を、主の宮の入り口、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばから取り除き、太陽の車を火で焼いた。王は、ユダの王たちがアハズの屋上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが主の宮の二つの庭に造った祭壇を、そこから外して打ち壊し、砕いた。そうして、その灰をキデロンの谷に投げ捨てた。
ヨシヤ王は一つも残さず国中の偶像を破壊します。偶像礼拝はソロモン王の時代から何百年も続いたものだし、それまで何百年も先輩たちが国をあげて保護してきた偶像です。それを徹底的に壊ししました。日本でいうなら何百年も続いた文化財のような神社仏閣を破壊するようなものです。ヨシヤ王は徹底していました。
(13-15)
王は、エルサレムの東、破壊の山の南にあった高き所を汚れたものとした。これは、イスラエルの王ソロモンが、シドン人の忌むべき女神アシュタロテ、モアブの忌むべき神ケモシュ、アンモン人の忌み嫌うべき神ミルコムのために築いたものであった。
また、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、その場所を人の骨で満たした。
さらに彼は、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムが造った高き所、すなわち、その祭壇も高き所も打ち壊し、さらに高き所を焼いて粉々に砕いて灰にし、アシェラ像も焼いた。
(24-25)
さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。こうして、彼は祭司ヒルキヤが主の宮で見つけた書物に記されている律法のことばを実行した。
ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。
ヨシヤ王が悔い改め、徹底的に偶像を破壊し偶像を汚れたものとすることは神様ご自身があらかじめ計画なさったことでもありました。
これは、ヨシヤが生まれる350年も前から預言されていました。
(1列王記13.2)
『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしておまえの上に献げ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」
ヨシヤ王が徹底して偶像を壊し、汚れたものとしたことは「神の人がこのことを預言して叫んだ主のことばのとおりであった。」と言います。
(16)
ヨシヤが振り向くと、山の中に墓があるのが見えた。そこで彼は人を遣わしてその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとした。かつて、神の人がこのことを預言して叫んだ主のことばのとおりであった。
神様のことばは単なる教えではなく、生きて働く神様のご計画そのものです。
神様のことばによって僕らの行動は神様のものとなって行きます。今も、神様のことばによって教会も一人一人の人生も神様のご計画通りに変えられて行きます。みことばによらなければ、全ては人間のはかなく虚しい考えにすぎません。ずれても誰も気がつきません。でも、みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。(詩篇119.130)
僕らは聖書によって変えられます。神様の願いが僕らの人生に、僕らの世界に現れます。
今日も聖書を読みましょう。僕らの心の中には、神様みたいに崇拝し、優先し、従いたいと思う偶像が登場します。でも、みことばによって偶像が示されます。それを捨てたいと思います。それを捨て、やめることができます。心が変えられます。行動が変えられます。人生が変えられます!
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