2023年1月26日木曜日

ヘブル2.6-13

 僕らクリスチャンは「私は(赦された)罪人です。」とか、「ちりに過ぎない小さなものです」というイメージを持ちます。もちろん聖書にそのように書かれています。逆に、「私は将来、王となります」とか「被造物を支配します」というのはピンとこないようです。聖書によると、人間は本来、他の自然界を支配する栄光と力を与えられたものです

僕らは弱いし欠点だらけのイメージしか持てないのですが、聖書によるとクリスチャンはイエス様に完全に似たものとされ、イエス様と一緒に「王」とされます。黙示録は「彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった」(20:4)とか、「彼らは神とキリ ストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる」(20:6)、「彼らは永遠に王である」(22:5)と書かれています。ヘブル人への手紙は詩篇8篇を引用してそれを説明しています。


(6-8節)

「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです


創世記1.26-28は人間が創造された時のことが書かれています。

(創世記1.26-28)

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家 畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身の かたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、この ように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべて の生き物を支配せよ。」 


ところが今は自然界は人間に従ってません。


(8節)

万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。

 

本来、栄光と誉れを持っていた人間が不完全で弱くなってしまったのは、人間が罪を犯し、神様の似姿でなくなったからです。イエス様は、そのような僕ら人間が栄光と誉れを取り戻すために、全ての点で人間と同じになり、罪はないのに罪人とされ、低くされ、苦しめられ、死ぬ道を選ばれました。それは、苦しみ、死んでから復活することで、死と罪の力を滅ぼし、人間にもう一度栄光を与えるためですイエス様は罪がないのに僕ら罪人の代表となって下さいました。イエス様が苦しみ、死んでから復活されたのは、僕ら人間を再び栄光へと導くことが目的です


(9-10節)

ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです


王であり支配者であるイエス様は僕ら人間のことを「兄弟」と呼んでくださいます。僕らは栄光ある弟たち妹たちです


(11-12節)

聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つですそれで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、こう言われます。「わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。教会の中で、わたしはあなたを賛美しよう。」


僕らはイエス様と同じ栄光をもつ人に変えられます。僕らは栄光を持つ弟たち、妹たちです。今は不完全ですが、やがて完全に変えられます。


(ローマ8.29)

神は、あらかじめ知っ ておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中 で長子となられるためです。(…中略…)義と認めた 人々にはさらに栄光をお与えになりました。


僕らの将来は僕らが考えるよりすごい身分が保証されています。栄光と冠が用意されています。僕らもイエス様と一緒に王とされます。予想以上、想像以上の将来が用意されています。ハレルヤ!

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