普通、賛美は神様に歌うものです。…ですが、神様が人を喜び、人について歌う歌が聖書に書かれています。
(2節)
その日、麗しいぶどう畑(神様が愛するイスラエルのこと)について歌え。
神様がどれほどイスラエル人たちを愛しているか、ラブソングが書かれています。神様はあなたをいつも見守っているよ、必要なものをあたえるよ、という歌です。神様は愛するイスラエルのことを「麗しいぶどう畑」と表現しています。そして、僕らも同じように神様の愛と祝福に入れられると聖書は言います。
(3節)
わたし、主はそれを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも害を加えないように、夜も昼もこれを見守る。
神様はいつも見守り、良いもので満たし、悪いものから守ってくださいます。今、この世界には悪魔の働きがありますが、最後の裁きの時には悪魔は殺されます。この世界は終わります。その時神様は完全に正しい裁きをされます。
(1節)
その日、主は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタンを、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。その時に神様の憤りは終わります。
(4節)
わたしにもう憤りはない。もしも、茨とおどろがわたしと戦えば、わたしはそれを踏みつぶし、それをみな焼き払う。
罪があるイスラエルも(僕らも)本来は神の裁きを受けるはずなのに、それをイエス様が身代わりに十字架で受けてくださいました。怒りはもう終わったと言われます。愛するぶどうを傷つける有害な植物(いばらとおどろ)が生えてくるなら神様が踏みつぶし、焼き払ってくださいます。神様の愛する子どもたちを傷つけるような人がいるなら神様は許さず、滅ぼしてくださいます。今も神様の守りがありますが、終わりの日には完全に悪は消え去ります。
この素晴らしい世界に入りたい人は神様と契約を結ぶようにと招いてくださっています。イエス様を信じ頼る人はこの契約に入っています。「和を結ぶ」とは平安に入る、という意味です。
(5-6節)
あるいは、もしわたしという砦に頼りたければ、わたしと和を結ぶがよい。和をわたしと結ぶがよい。時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面を実で満たす。」
神様はイスラエルを愛し喜び歌ってくださいます。そして、イエス様を信じた僕らのことも歌ってくださいます。
イスラエルの過去は神様への裏切りで満ちていました。それでも神様は彼らを愛し、懲らしめ、偶像を捨てるようにと導いて来られました。
彼らの苦しみは自分の罪に気がつき、偶像を捨てるための試練でした。
(8-9節)
あなたは追い立て、追い出し、彼らと争い、東風の日に、激しい息で彼らを吹き払われた。
それゆえ、次のようにしてヤコブの不義は赦される。祭壇の石をすべて、粉々にされた石灰のようにし、アシェラ像と香の台を二度と立てなくすること、これが、自分の罪を除いて得る実のすべてだ。
金属は高温によって純化されるように、イスラエルは外国に攻撃され、捕虜にされ、国を失って偶像礼拝の愚かさに気がつき、偶像を捨てていきました。神様は愛する子どもたちをきよめるために、懲らしめを与えられます。それを通して彼らは良い、美しいぶどう畑へと成長します。
僕らもイスラエルと同じように、愛されている神様の子どもです。どんな試練があっても最後には愛のぶどう畑のように神様に賛美され、喜ばれます。神様に見捨てられることはありません。歌って喜ばれています!
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