イエス様は傷ついた人、倒れた人、役に立たないと思われる人を見捨てることがありません。それはまるで、役に立たない葦を捨てないよう、火がつかなくなったランプの芯さえ切り捨てないようだ、と聖書は言います。これらは全部イエス様のことを書いています。
(1-3節)
「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。
イエス様は無限に神様に支えられ、神様に喜ばれ、神様の霊で満たされた方です。イエス様は争う方ではありません。イエス様はどんなに僕らがグズグズしていても、僕らに真実を教え続け、見捨てることなく導いてくださいます。
この箇所が書かれた時代はイスラエル人たちは盲目となり、神様の言葉が聞こえなくなり、何度も裏切り、国を失い、神殿も失い、国は最悪の時代でした。その悲惨さが書かれています。
(22-25節)
しかし、これは、かすめ奪われ略奪された民、彼らはみな穴の中に陥れられ、獄屋に閉じ込められた。かすめ奪われても、助け出す者はなく、略奪されても、返せと言う者もいない。(…中略…)私たちはこの方の前に罪ある者となり、主の道に歩もうとせず、そのおしえに聞き従わなかった。そこで主は、憤ってこれに怒りを注ぎ、激しい戦いをこれに向けた。それがあたりを焼き尽くしても彼は悟らず、自分に燃えついても心に留めなかった。
そのように、もはや神様のことが分からなくなり、さまよっている人たちを神様は見放さず、彼らの目を開き、闇から光に連れ出してくださいます。
(7節)
こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。
(16節)
わたしは目の見えない人に、知らない道を歩ませ、知らない通り道を行かせる。彼らの前で闇を光に、起伏のある地を平らにする。これらのことをわたしは行い、彼らを見捨てはしない。
神様のことがわからなくて、さまよう人の目を開いてくださるのはイエス様です。
その時に僕らは嬉しくて神様に賛美の歌を歌います。「新しい歌」とは神様に感動している歌、新鮮に神様を喜ぶ歌のことです。
(10-12節)
新しい歌を主に歌え。その栄誉を、地の果てから。海に下る者、そこを渡るすべての者、島々とそこに住む者よ。
荒野とその町々、ケダル人が住む村々よ、声をあげよ。セラに住む者たちは喜び歌え。山々の頂から声高らかに叫べ。
主に栄光を帰せよ。島々にその栄誉を告げ知らせよ。
神様は栄光を現してくださいます。一番神様から遠いような人たちが見捨てられず、一番役に立たない人たちが愛され、ガンコで神様を拒否していた人が変えらました。だから僕らは神様の栄光だけを誉めたたえ、感謝の歌を歌います。
もしも、神様を知らなかったらどんなにヒドい人生だったか考えてみましょう。
「主に栄光を帰せよ」と聖書は言います。100パーセント神様の力、神様の恵み、神様の栄光です。僕らの業績はありません。
今日も神様に感謝の歌を歌い、人々にその栄光を伝える僕らでありますように。
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