預言者イザヤの時代は神様から離れ、偶像を拝み、何もかも失った最悪の時代です。だのに、それでも神様は裏切る彼らを「わたしが造った」「わたしが選んだ」「わたしが助ける」と繰り返します。廃墟となったエルサレムが回復し、神様を忘れて渇ききった彼らが、まるで砂漠に水がみなぎり緑が回復するようになると預言します。
(1-4節)
「今、聞け。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。
あなたを造り、あなたを母の胎内にいるときから形造り、あなたを助ける主はこう言う。恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルン(イスラエルの別名)よ。
わたしは潤いのない地に水を注ぎ、乾いたところに豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたの子孫に、わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ。
彼らは流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽生える。
良い学校、良い就職、良い結婚、良いチームに入れると僕らは喜び誇ります。そのように、神様の家族に入り、神様の子どもになり、神様のしもべになることはどんなチーム入りことよりも喜びとなり、それを誇り、口にする日がきます。
(5節)
ある者は『私は主のもの』と言い、ある者はヤコブの名で自分を呼び、ある者は手に『主のもの』と記してイスラエルの名を名乗る。」
奴隷をお金を払って買い戻すことを「あがなう」と言います。「あがなう」とは、奴隷生活から解放されて、最高の家の息子として迎えられることです。奴隷から王子として迎えられます。その代価は神様の側で支払ってくださいます。
(21-22節)
ヤコブよ、これらのことを心に留めよ。イスラエルよ、あなたはわたしのしもべ。わたしがあなたを形造った。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ、あなたはわたしに忘れられることがない。
わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」
イエス様が一番最初におっしゃったことは「悔い改めなさい」です。その意味は、「赦されたことを信じて神様に戻りなさい」ということです。もう、僕らは赦されています。罪の呪いと罰はイエス様が十字架の処刑で終えてくださいました。神様は繰り返して赦しを伝えています。「わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。」とです。(22節)
戻ったら赦してやる、とか何かをしたら赦してやる、ではなく、もう背きも罪も消し去った、と先に言ってくださってます。その犠牲や代価は支払い済みです。
神様は「恐れるな」と言われます。僕らは神様の罰を恐れ、人からの制裁も恐れます。恐れとは、自分は赦されない、愛されない、と思い込むことです。愛され、受け入れられるときには恐れません。聖書は「恐れるな」と繰り返します。神様の怒りも呪いもあの十字架でイエス様が終えてくださいました。それを信じる人には平安と喜びが回復します。
100点じゃないと裁かれると思うのは間違いです。その人はいつも恐れて頑張りすぎます。神様は1点でも2点でも不合格にしません。だから戻ってきなさい、とおっしゃいます。これがわかると僕らは恐れから解放されます。
回復すること、神様に受け入れられることを聖書は宣言しています。神様以外に「絶対こうなる」と言える人はいません。でも、神様は赦しと回復を宣言しています。
(7-8節)
わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べ立ててみよ。彼らに未来のこと、来たるべきことを告げさせてみよ。
おののくな。恐れるな。わたしが、以前からあなたに聞かせ、告げてきたではないか。
神様の言葉は実現します。神様の宣言は必ずそうなります。
信頼しましょう。僕らは奴隷から王様の子どもになりました。受け入れられています!
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