2023年1月25日水曜日

イザヤ46章

 僕ら「が」作り、運び、重荷となる神は偶像です偶像は僕らを救いません。逆に僕ら「を」作り、運び、僕らを重荷から解放してくださるのは本当の神様ですバビロン人たちが自分たちの偶像を荷車に載せて運ぶことが書かれています。自分たちが拝んだ偶像は助けてもくれず、重たい荷物になっている様子は皮肉です


(1-2節)

「ベル(バビロンの偶像の名前)はひざまずき、ネボ(同じく偶像の名前)はかがむ。彼らの像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の重荷となって運ばれる。彼らはともにかがみ、ひざまずく。重荷を解くこともできず、自分自身も捕らわれの身となって行く。


「これが私を救ってくれる」と思ったものが偶像となり、重たい荷物のようになって行くことは今でもよくある光景ですある人はプライドが偶像化して自分を苦しめ、お金が自分を苦しめ、モノや他人が偶像化してそれに縛られていくことがあります。偶像は僕らを救ってくれません。


(7-8節)

彼らはこれを肩に担いで運び、それがあったところに安置すると、それはそこに立ったままである。これはその場所から動かない。これに叫んでも答えず、苦しみから救ってもくれない。このことを思い出し、勇み立て。背く者たちよ、心に思い返せ。


神様はここで、本当の神様は私だ、と何度も言われます。お荷物になってしまう偶像とは真逆で、僕らを背負い、運び続けてくださる神様です。神様は何度も「わたしが背負う」「わたしが救う」と繰り返します。


(3-4節)

ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。

あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。


背負ってくださるとは、イエス様が一緒に悲しみ傷ついてくださることです


(イザヤ 63:9) 

彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。

その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。


イエス様は僕らを作り、運び、罪も恥もその罰も全部背負ってくださる救い主です今日も僕らは自力で立っているのではなく、神様の愛と赦し、そしてその力に支えられています。


(9節)

わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。


僕らが作り、運ぶ神は偶像です。僕らを作り、運んでくださる神様です。感謝しましょう。今日も支えられています。ハレルヤ!

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