小・中学生が身長が伸びるように、僕らも知識も行いも成長します。
そのように、クリスチャンは必ず成長します。成長のしるしは、受けるばかりだった人が神様と隣人を愛し仕えるようにことです。自分中心の損得、快適さではなく、神様中心が生活に現れます。
神様はその成長を喜び祝福してくださっています。親が子どもの成長を喜ぶのと同じです。
この時代はクリスチャンに対する迫害があった時代です。その時代にクリスチャンの仲間を支え、愛し、仕えることは忍耐と犠牲を伴うものでした。神様はそれを喜び祝福してくださいます。
(10-12節)
神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって、神の御名のために愛を示しました。
私たちが切望するのは、あなたがた一人ひとりが同じ熱心さを示して、最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け、
その結果、怠け者とならずに、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人たちに倣う者となることです。
聖書はそのように、聖書のことばが単なる知識だけにならず、それを現す生活になるようにと勧めます。それが成熟です。初歩の教えを繰り返すだけで実行しないなら、いつまでも幼子です。
(1-3節)
ですから私たちは、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、
きよめの洗いについての教えと手を置く儀式、死者の復活と永遠のさばきなど、基礎的なことをもう一度やり直したりしないようにしましょう。
神が許されるなら、先に進みましょう。
神様と隣人を愛することは人間から出ない神様からのプレゼントです。神様の素晴らしさが僕らを通して現れます。神様を愛したい、隣人を愛したい、と思うことは神様の聖霊の願いであり、聖霊を受けた人だけがそれを実行することができます。それは忍耐と犠牲を伴いますが、その先に完全な祝福の希望があります。
ところが、そのような神様の素晴らしさを体験したのにも関わらず、イエス様をもう一度否定し、イエス様を侮辱する人がいたようです。また、そうすることも可能です。
(4-6節)
一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となって、
神のすばらしいみことばと、来たるべき世の力を味わったうえで、
堕落してしまうなら、そういう人たちをもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、さらしものにする者たちだからです。
完全にイエス様とその力を体験して知っているのに、あえてそれを否定し、反抗し、堕落することが人間にはできます。神様の素晴らしさを知っている人なので、かなり頑張って聖霊に反抗しなければなりません。反抗する方がずっと大変なのですが、神様は僕らの意思を尊重してくださいます。なので、自分の意思でイエス様から離れ、自分の意思で恵みと喜びを否定し、キリストを辱めることを選ぶなら、神様はその意思を尊重されます。
聖書は僕らが成長するようと教えます。基本的な教えにとどまっていないで、それを実行し神様と隣人を愛していくことが成長だし、こちらが自然です。神様は農夫であり僕らは畑です。僕らは神様に喜ばれる実を結ぶように作られています。作物は雨を喜びます。そのように僕らは神様の恵みを喜びます。神様の愛と恵みをもらった人は感謝して神様と人を愛そうとします。それが祝福の実です。
神様の恵みと愛を知っているけど、あえて拒否する人は神様を悲しませ、人を傷つけることを自分から選びます。そこには何の祝福もありません。
(7-8節)
たびたび降り注ぐ雨を吸い込んで、耕す人たちに有用な作物を生じる土地は、神の祝福にあずかりますが、茨やあざみを生えさせる土地は無用で、やがてのろわれ、最後は焼かれてしまうのです。
僕らは成長するように作られています。初歩の学びで止まらず、キリストに似たものとして変えられ続けます。その時に祝福を失うことはありません。小・中学生が身長が伸びるように、僕らも知識も行いも成長します。それは神様の喜びです。ハレルヤ!
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