僕らの人生には苦しいことが沢山あります。神様を信じていても、です。
この当時、イエス様を信じて従うことは迫害に会うことでした。なので、やっぱりキリストはやめた、という人がいたようです。そんな彼らに聖書は希望と忍耐を勧めます。キリストに仕えることは、同じ信仰者に仕えることです。クリスチャンはキリストの体であり一人一人は器官だからです。忍耐して仲間のクリスチャンを愛し仕えたことは、神様に忘れられることはありません。
(10-12節)
神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって、神の御名のために愛を示しました。
私たちが切望するのは、あなたがた一人ひとりが同じ熱心さを示して、最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け、
その結果、怠け者とならずに、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人たちに倣う者となることです。
僕らの信仰の大先輩であるアブラハムも、神様を信じることは忍耐でもありました。忍耐とは希望を持って待つことです。単なるガマンとは違います。彼が希望を持ち続けることができた理由は「神様が祝福を約束してくれたから」です。そして、「神様が祝福を誓ってくださったから」です。普通、誓いは自分より上の人にかけて誓いますが、神様はご自分にかけてアブラハムの祝福を誓われました。
(13-15節)
神は、アブラハムに約束する際、ご自分より大いなるものにかけて誓うことができなかったので、ご自分にかけて誓い、
「確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたを大いに増やす」と言われました。このようにして、アブラハムは忍耐の末に約束のものを得たのです。
人間の誓いや約束なら破られることがありますが、神様の約束は必ず実現します。神様は嘘をつくことがありません。
(17-18節)
そこで神は、約束の相続者たちに、ご自分の計画が変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されました。
それは、前に置かれている希望を捕らえようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはあり得ません。
聖書は僕ら異邦人(イスラエル人以外)もイエス様を信じる人はアブラハムと同じ祝福を受けると約束しています。
(ガラテヤ3:29)
もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
そして、この祝福の希望は、僕らがこの世と一緒に神様の裁きと滅びを受けることがなく、神様の近くに行くことです。
この希望はまるで錨のように安全で確かです。錨を下ろしている船は嵐でも流されないように、神様の約束と誓いがあるので、僕らは人生が試練の連続であっても希望を持ち続けることができます。
(19節)
私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側(神様と直接お会いするという意味)にまで入って行くものです。
今日も試練があるかもしれません。キリストはやめた、という誘惑もあるかもしれません。
でも、僕らは祝福されます。神様が約束し、誓っておられます。僕らがグラついても、神様の約束は果たされます。大丈夫です!
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