この世界は自分の力や計算で生き抜くようにと教えます。「賢い者、知恵のある者になれ!」という世界です。ところが、そのような人は神様を求めません。自分は賢く知恵があると思う人はまずは自分を求めます。そのような人に神様の力は隠されるとイエス様は言います。
(25-26節)
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
逆に、神様の力を体験するのは「幼子たち」です。幼子とは赤ちゃんの意味です。赤ちゃんの力は弱く、自分には神様の救いと助けが必要だと思う人です。
そのように、力がない人たち、疲れた人たち、弱い人たちこそが神様の力や導きを体験する人たちです。
(28-30節)
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
「疲れた人」「重荷を負っている人」とは、自力でがんばっている人です。イエス様は「わたしのところに来なさい」とおっしゃいます。イエス様の願いは「わたしがあなたがたを休ませてあげます。」です。
イエス様は全ての権威を持っているのにそれを捨てて、人のしもべとなり、人のために十字架で殺されるまで愛し抜いてくださる方です。このイエス様を信じ、イエス様と繋がる人は苦しめられたり追い立てられたりすることなく、たましいに安らぎが来ます。
くびきとは、2匹の家畜をくっつけて一緒に歩かせる道具です。そのようにイエス様とくっついていつもイエス様と一緒にいようとする人には本当の平安があります。イエス様にくっついて、イエス様から学ぶことは、どんな人間の知恵や知識よりも平安が与えられます。イエス様が一つづつ丁寧に教えてくださいます。
この世は「休むな」「頑張れ」「賢くあれ、知恵あるものになれ」と教えます。逆にイエス様は「休ませてあげます」「安らぎがきます」とおっしゃる方です。
イエス様の教えと真逆です。イエス様に繋がり、イエス様に教えてもらう人はどんな知恵よりも良い知恵を得ます。そしてどんなことよりもリラックスします。イエス様ご自身が柔和で謙遜な方だからです。イエス様との交わりは重荷ではありません。
疲れているか、それともホッとしているかどうか、自分に聞いて見ましょう。
疲れていたら、イエス様のところに行きましょう。イエス様と繋がりましょう。知恵も力もイエス様の者です。人間は疲れ果てるようには作られていません。
忙しくてイライラしている人より、イエス様の足元に座って、ただイエス様の話をきき、イエス様に自分の重荷を預けるマリヤのことをイエス様は「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。」とおっしゃいます。(ルカ10.42)
今日も僕らがイエス様に身を委ね、リラックスして歩めますように。
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