罪とは「神様より自分が上」と思うことです。誰も「私は神様より上」とは言いませんが、実は神様をコントロールしようとしたり、「利用」しようとして自分の思い通りにしようとすることがあります。そのような高ぶりは、いつもクリスチャンにつきまといます。神様は何かをしたら動いてくれる、という取引の相手ではありません。サウル王は信仰者っぽいことを言いますが、実は神様を利用しようとしていることがわかります。
敵のペリシて人は神様によって混乱し同士討ちを始めました。それは全てが神様の恵みであり神様の救いです。人間の力ではありません。
(20-23節)
20サウルと、彼とともにいた兵がみな集まって戦場に行くと、そこでは剣をもって同士討ちをしていて、非常に大きな混乱が起こっていた。21それまでペリシテ人について、彼らと一緒に陣営に上って来ていたヘブル人も転じて、サウルとヨナタンとともにいるイスラエル人の側につくようになった。22また、エフライムの山地に隠れていたすべてのイスラエル人も、ペリシテ人が逃げたと聞いて、戦いに加わってペリシテ人に追い迫った。23その日、主はイスラエルを救われた。そして、戦いはベテ・アベンに移った。
全てが神様の力ですが、サウル王は「私が」敵に復讐すると言い、「それまで食べ物を食べるものは呪われよ」と誓わせます。まるで自分が神様より上みたいです。さらには兵士たちには断食することを神様に誓わせます。断食したから神様が動いてくださるのではないし、断食したから自分が敵に勝てるのでもありません。だのにサウルは兵士たちに断食を誓わせ、食べる人は呪われよと言います。
(24節)
24さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。
兵士たちは神様に呪われることを恐れて誰も口にしませんでした。その結果、彼らは疲れ切ります。
苦行が神様を動かすのではありません。神様が全てを支配しておられます。
僕ら人間はいつも神様の意図に沿わないルールを作りたがります。こうすればうまくいく、とか、こうすれば神様が動いてくれる、というルールは重荷になり、自分を苦しめ、周りを苦しめます。
僕らは神様の前にひれ伏し、信頼するのみです。私が上でなく、神様が上です。僕らが神様を動かすのではなく、神様が僕らを用いてくださいます。主権が、栄光が、ただ神様だけにありますように。僕らが行いによらず、ただ、神様に信頼しながら平安の中を歩めますように。
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