2023年2月6日月曜日

1サムエル14.36-52

 聖書はいつも自分の考えよりも神様に従いなさい、と繰り返します。「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒5:29)「わたしに従いなさい。」(ヨハネ21.19)神様のお考えは僕らよりもはるかに上です僕らの小さいアタマで考えるより、立ち止まって神様に尋ねることを聖書は教えます。


人間から見ればサウル王の状況は大チャンスです敵の大群は同士討ちで大混乱をしており、恐れに取り憑かれています。状況だけで判断すれば攻撃のチャンスだし、サウル王は「一晩中追いかけて敵を全滅させよう」と言います。しかし、祭司は「われわれは神の前に出ましょう」と提案します。人でも状況でもなく、まず神様に伺うことは聖書のすすめです


(36節)

36サウルは言った。「夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らからかすめ奪い、一人も残しておかないようにしよう。」すると兵は言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」しかし祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう。」37サウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日、神は彼にお答えにならなかった。


神様に尋ねるなら答えられます。ですが、すぐにお答えがない、というのも神様の答えです

サウルは誰かが罪をしたから神様が答えてくれないのではないか、と予想します。もし罪をした者がいたらたとえ息子のヨナタンであっても死刑だと宣言します。


(38-39節)

38サウルは言った。「民のかしらたちはみな、ここに近寄りなさい。今日、どうしてこの罪が起こったのかを確かめてみなさい。39まことに、イスラエルを救う主は生きておられる。たとえ、それが私の息子ヨナタンであっても、必ず死ななければならない。」しかし、民のうちだれも彼に答える者はいなかった。


サウル王は誰が原因で神様の許可が出ないのかを質問します。神様はヨナタンを示されました。

ヨナタンは断食の誓いをを知らずに蜜を食べていました。しかし、断食ルールを勝手作ったのはサウル王ですサウル王は自分のルールゆえにヨナタンは殺されなければならない、と言います。


(41-44章)

41サウルはイスラエルの神、主に「みこころをお示しください」と言った。すると、ヨナタンとサウルが取り分けられ、民は外れた。42サウルは言った。「私か、私の息子ヨナタンかを決めてください。」するとヨナタンが取り分けられた。 43サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に話しなさい。」ヨナタンは彼に話した。「確かに、手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を口にしました。この私が死ななければなりません。」44サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」


ヨナタンは命をかけて主に従う人です。(14章6-14節)そして、人の前でも謙遜な人です。もし、自分が蜜を口にしたことが罪ならば「この私が死ななければなりません。」(43節)と覚悟しています。彼は父サウル王が作った断食ルールがおかしい、と気がついていました。(29-30節)…ですが、自分が正しいとか、父が悪い、などと争うことをしません。ただ、自分が蜜を口にしたことが罪ならば「この私が死ななければなりません。」と言います。彼は一切自己弁護をしません。ヨナタンは最初から最後まで命を神様に預けていることがわかります。これはキリストの姿そのものです

キリストは全ての権威と栄光を持っている神様なのに、自分を捨ててしもべとなり、十字架で人々の罪を引き受けて処刑される方です。同じように、ヨナタンは悪い事はしていませんが、父である王サウルを尊重し、代わりに自分が死ぬ覚悟ができています。


(ピリピ2.3-8)

3へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。(…中略…)5キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。


サウル王は表面は神様を求めていますが、内面は自分の考え、自分のプラン、自分が中心ですヨナタンは神様に自分の命を全部預け切っています。内側も外側も命も全て神様に明け渡していることがわかります。

ヨナタンは父に殺されることも覚悟していましたが、神様はそれをストップしてくださいました。


(45節)

45民はサウルに言った。「この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。


僕らの人生は全部神様のものです。命も神様のものです僕らも神様に預けちゃいましょう。生きるにしても死ぬにしても、僕らは全部神様のものです。ハレルヤ!


(ローマ 14:8)

もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのですですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです

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