僕らの心にあることが僕らの態度に出ます。僕らの心に聖霊が住んでおられるなら聖霊の態度を出すようになり、そうでないなら悪い態度が出てしまいます。
(33-35節)
木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。
イエス様を信じた人には必ず聖霊が住んでいます。聖霊が僕らの中に住んでいるので、心の中で悪いことを考えると「ヤバい、これはダメだ」とわかります。聖霊が教えてくださるからです。
(ヨハネ14:26)
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
僕らの心に妬みや憎しみや高ぶりなどがあると気がついたら、それは聖霊が教えてくださっています。気がついたらそれは神様に告白して謝りましょう。どんな罪も赦されます。
(31-32節)
だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。
神様がハッキリと罪を教えてくださっているのに、わざとそれに反抗し続けるならそれは聖霊に対する冒涜です。聖霊の働きがハッキリしているのにわざとそれを否定することは赦されない罪だとイエス様はおっしゃいました。
(32節)
しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
当時のパリサイ人たちはイエス様が盲人を見えるようにし、口のきけない人を癒したのが明らかなのに、それを「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と意図的に、わざと否定します。(24節)そのことをイエス様は「聖霊に逆らう冒涜は赦されません。」(31節)とおっしゃいます。
自分の内側にある罪がわかるのは聖霊からの愛のメッセージです。これはダメだ、とわかるのは恵みです。感謝しましょう。「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。」「人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。」(32節)いつも内側を聖霊の心にしていただきましょう。心に満ちていることを口が話します。いつも僕らの心が良いもので溢れますように。
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