2023年2月21日火曜日

ヨシュア記15.20-47

 ヨシュア記15.20-47

ヨシュア記の15章の後半では、神様がユダ部族に与えてくださった町の名前、村の名前が丁寧に一つ一つ書かれています。しかも、どの町にどの家族が住むか、それは「くじ」で決められました。この「くじ」には神様の導きがありました。
1 ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は、エドムの国境に至り、その南端は、南のほうのツィンの荒野であった。
20 ユダ部族の諸氏族の相続地は次のとおり。
21 ユダ部族が、エドムの国境のほうに持っていた最南端の町々は、カブツェエル、エデル、ヤグル、
22 キナ、ディモナ、アデアダ、
ヨシュア(…以下略)
たくさんの町や村の名前が出てきます。僕ら日本人には退屈な記録だけども、当時のイスラエル人にとっては「神様が私たちに住むように与えてくださった大切な町」です。それは子孫に受け継がれていく土地でした。勝手に土地を手放したり移住したりすることはできませんが、
もしも、貧しくなって土地を手ばなすことがあったとしても、その50年に一度はこの土地に戻るように決めらています。その家族が永住する土地です。
(旧約聖書 レビ 25:13)
このヨベルの年(50年に一度)には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。
それぞれ町や村には特徴がありますが、それこそが神様がそれぞれにふさわしく与えてくださいました。ある町々は敵国の「エドム」と隣接していて、危険に見える土地でした。
21 ユダ部族が、エドムの国境のほうに持っていた最南端の町々は、カブツェエル、エデル、ヤグル、
ヨシュア
また、「低地」もあり、「山地」もあります。「荒野」もあります。
33 低地では、エシュタオル、ツォルア、アシュナ、
ヨシュア(…以下略)
48 山地では、シャミル、ヤティル、ソコ、
ヨシュア(…以下略)
61 荒野では、ベテ・ハアラバ、ミディン、セカカ、
ヨシュア(…以下略)
想像ですが、くじで「山地」とか「荒野」とか、「敵エドムの隣」にあたった人々は心の中で不平を言ったかもしれません。「ずっと住むのに、こんな場所か…」と思ったかもしれません。それでも神様が与えてくださった土地です。
(旧約聖書 箴言 16:33)
くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。
彼らは与えられた土地で神様が生きて働いてくださることを体験していきます。イスラエル人に限らず、僕ら人間は神様が生きる時代と国を決めてくださっています。それらは自分で決めることができず、育ちや環境は神様の導きです。僕らがこの時代に日本であの家で生まれ育ったのは神様の決定です。
(新約聖書 使徒 17:26)
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
また、この人生には困難や苦難が用意されていることがあります。それでも、神様が用意してくださたった大切な困難です。困難がなければ僕らは神様を求めることをしません。与えられた時代も場所も状況も、僕らが神様を求め、神様を知っていくための神の御業です。
まず、与えられた境遇を感謝しましょう。その状況のなかで、神様をまず求め、文句を言わずに生きておられる神様の恵みを体験させていただきましょう。どんな状況の中でも神様は僕らから遠く離れていません。
(新約聖書 使徒 17:27)
これは、(それぞれの住む場所を決められたのは)神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
どんな場所でも、どんな状況でも神様は近くにおられます。神様はイエス様を信じるように導いてくださいました。神様がこの教会に導いて下さいました。僕らが宗教を選んだのではなく、神様が僕らを選んでくださいました。今日も与えられた状況の中で主を求めましょう。主は与えられた場所に、近くにおられます。ハレルヤ!

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