ヨシュア記15.63
神様はイスラエル人を愛し、まるで結婚するカップルに他者が入れないような特別の愛の関係を願いました。神様のイスラエルへの愛は、まるで恋人を求めるかのように表現されています。
あなた(イスラエル人たち)は、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。(…中略…)主があなたがたを愛されたから(…以下略)
それで神様はイスラエル人たちが他の神々に心を向けないでほしいと願われます。もし、イスラエル人たちが偶像を拝む人たちと仲良くするなら、必ず彼らのように偶像を拝むようになると神様は警告しています。必ず誘惑されるから、彼らを追い出し、または完全に皆殺しにするようにと言われます。それほどまでに神様は愛の関係に邪魔を入れることを拒否し嫌います。
(旧約聖書 申命記録7.2-4)
あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。
彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。
彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。
もしも神様から引き離す誘惑者を放置するなら、彼らによってイスラエル人たちは苦しめられ、しかも神様の怒りに会うことが警告されています。
(旧約聖書 民数記 33:55-56)
もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。そしてわたし(神様)は、彼ら(偶像礼拝の民)に対してしようと計ったとおりをあなたがた(イスラエル人たち)にしよう。
神様が警告した通りのことは事実になりました。イスラエル人たちは偶像を拝むようになり、その結果ひどい苦しみに会います。旧約聖書の士師記にはその実例が書かれています。
(旧約聖書 士師記 2:11-15)
それで、イスラエル人は主の目の前に悪を行ない、バアルに仕えた。彼らは、エジプトの地から自分たちを連れ出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、彼らの回りにいる国々の民の神々に従い、それらを拝み、主を怒らせた。彼らが主を捨てて、バアルとアシュタロテに仕えたので、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを略奪者の手に渡して、彼らを略奪させた。主は回りの敵の手に彼らを売り渡した。それで、彼らはもはや、敵の前に立ち向かうことができなかった。彼らがどこへ出て行っても、主の手が彼らにわざわいをもたらした。主が告げ、主が彼らに誓われたとおりであった。それで、彼らは非常に苦しんだ。
神様は彼らがこのような苦しみに会うことがないように、神様との愛の関係を純粋に保つようにと願われます。それで、神様が与えてくださる土地を得る時には偶像礼拝の民を徹底的に追い払い、滅ぼし尽くすようにと命令されます。ちょうど、結婚する時に他の女性(男性)との関係が一切ないように、誘惑する人とは完全に関わらないようにするのと同じです。
(旧約聖書 ヨシュア 23:11-13)
あなたがたは、十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。しかし、もしもあなたがたが、もう一度堕落して、これらの国民の生き残っている者、すなわち、あなたがたの中に残っている者たちと親しく交わり、彼らと互いに縁を結び、あなたがたが彼らの中にはいって行き、彼らもあなたがたの中にはいって来るなら、あなたがたの神、主は、もはやこれらの国民を、あなたがたの前から追い払わないことを、しかと知らなければならない。彼らは、あなたがたにとって、わなとなり、落とし穴となり、あなたがたのわき腹にむちとなり、あなたがたの目にとげとなり、あなたがたはついに、あなたがたの神、主があなたがたに与えたこの良い地から、滅びうせる。
ヨシュア記は神様がイスラエル人たちに祝福の土地を聖なる土地として与えてくださる記録です。しかし、その聖さと祝福を失う原因となる先住民を残していたことが書かれています。
63 ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった。それで、エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んでいた。今日もそうである。
一見読むと平和的に見えますが、これは自分らを滅ぼすものの放置です。仕方なかった、とか、このくらいはOKとは言ってられません。聖書は小さな妥協が全体を蝕んでいくことを「わずかのパン種が全体を膨らませる」(1コリント 5:6)と表現します。90%は神様に言う通りにして祝福されても、ほんの少し、神様が嫌うものをそのままにすることで、最初の多くの祝福も台無しになっていきます。
僕らの内側にも罪があります。「これぐらいは仕方ない」ということはありません。
10円の不正でも罪は罪です。他はちゃんとやっていても小さな不正が全体を滅ぼします。淫らなことをして「たまにはいいじゃん」とは言えません。それで結婚と家庭は壊れ、関係者全員がひどい苦しみに会います。人の陰口を言って、本人の前では友好的に振る舞っても偽善です。
小さな罪は全体を壊して行きます。
(新約聖書 1コリント 5:6)
あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
(1コリント 5:11)
私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。
罪は小さくても罪です。すぐに認めましょう。すぐに神様に報告して謝りましょう。神様との関係を壊す人やモノは、どんな高価に見えても捨てましょう。
(新約聖書 マタイ 5:29-30)
もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。
神様は僕らとの関係をきよく、キズのないものでありたいと願っておられます。罪は赦され神様との関係は回復できます。それは、小さな罪でもささいなことと思わず、すぐに認めて捨てることです。
0 件のコメント:
コメントを投稿