2023年2月21日火曜日

創世記23章

 創世記23章


僕らは買い物をする時に一円でも安いスーパーで、とか、少しでも値切って安いものを、と思います。商談でも有利になる交渉をする人がデキる人だと評価されます。ところが、値切って報酬や代価を十分に払わないことは相手への尊敬や愛を欠くことでもあります。反対に、十分な報酬や代価を払うことは相手への尊敬と愛の表れです。愛することは与えることです。アブラハムは妻サラが死んだ時、十分な代価を払ってその土地の人から墓地を購入しました。アブラハムは土地の人々から尊敬されており、「あなたは、私たちの間にあって神のつかさ」とさえ言われ(6)墓地の土地は無償で差し上げます、と提案されたのですが、それを断って十分な代価を支払いました。



(2-9)

サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来て、サラのために悼み悲しみ、泣いた。

アブラハムは、その亡き人のそばから立ち上がり、ヒッタイト人たちに話した。

「私は、あなたがたのところに在住している寄留者ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば、死んだ者を私のところから移して、葬ることができます。」

ヒッタイト人たちはアブラハムに答えた。

「ご主人、私たちの言うことをお聞き入れください。あなたは、私たちの間にあって神のつかさです。私たちの最上の墓地に、亡くなった方を葬ってください。私たちの中にはだれ一人、亡くなった方を葬る墓地をあなたに差し出さない者はおりません。

そこで、アブラハムは立って、その土地の人々、ヒッタイト人に礼をして、

彼らに告げた。「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたの心にかなうのであれば、私の言うことをお聞き入れくださり、ツォハルの子エフロンに頼んでいただきたいのです。

彼の畑地の端にある、彼の所有のマクペラの洞穴を譲っていただけるようにです。十分な価の銀と引き換えに、あなたがたの間での私の所有の墓地として、譲っていただけるようにしてください。」



愛は礼儀に反することをせず、自分の利益を求めない、と聖書は言います。(1コリント13.5)アブラハムは何度も土地の人たちに「礼」をしています。(7節、12節)



(12-16)

アブラハムは、その土地の人々に礼をし、

その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げた。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことをお聞き入れください。畑地の価の銀をお支払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」

エフロンはアブラハムに答えた。

「では、ご主人、私の言うことをお聞き入れください。銀四百シェケルの土地、それなら、私とあなたの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、亡くなった方を葬ってください。」

アブラハムはエフロンの申し出を聞き入れた。アブラハムはエフロンに、彼がヒッタイト人たちの聞いているところでつけた価の銀を支払った。それは商人の間で通用する銀四百シェケルであった。



この値段は当時の価格よりはるかに高額だったと言われます。しかしアブラハムにとっては無駄遣いではありません。愛するサラのためには惜しくない金額でした。さらに、この墓はアブラハム自身も、その子イサクも、孫のヤコブも葬られる墓となって行きます。今は尊敬され土地の人と友好な関係であっても次の時代にはどうなるかわかりません。彼は慎重に正当な値段以上の価格でしかも、人々の前で正式な交渉をしました。


僕らの国籍は天にあり、すでに神様の国メンバーとなっています。地上の歩みは寄留者です。だからと言って地上の隣人たちとの関係をも決してないがしろにはできません。僕らは二つの世界を同時に生きています。神様との関係で生きる霊的なの世界と、この世の社会生活、人間関係の世界の両方です。


安けりゃいい、ってことではありません。「払ってやってる」という態度には尊敬がありません。感謝し愛し尊敬して十分な報酬や代金を支払う生活でありますように。店員さん、運転手さん、関わる全ての人たちに神様の愛と誠実さを表す日でありますように

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