2023年2月21日火曜日

詩篇26篇

 詩篇26篇

もし、上司がただ怒鳴ったりキレたりするだけの上司なら失敗の報告は恐ろしくてできません。失敗があっても、はれ物にさわるように、バレないようにごまかします。
逆にもし、上司が誠実で、部下が失敗してもそれを自分のことのように丁寧に対応し責任を引き受け、さらに部下が成長するように教えてくれる人なら、部下は欠点や未熟さを正直に上司に打ち明けることができます。
イエス様は僕ら人間の失敗や罪を引き受け、自分のこととして共有し神の怒りと裁きを受け、血を流ししてくださいました。その赦しと恵みは完ぺきです。しかも甘やかすことなく僕らを教え、戒め、成長させてくださいます。
(新約聖書 1ヨハネ 2:1-2)
もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。
この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
イエス様を信じた人も何度も失敗します。言ってはいけないことを言い、人を憎み、さばき、汚れはいつも心から出ます。イエス様はそんな僕らのために今日も天の弁護士としてかばってくださいます。今日も僕らのために天で赦しを祈り続けてくださる方です。
(新約聖書 ローマ 8:34)
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
この恵みと愛に信頼する人は、自分の欠点や失敗や罪を隠さずに正直に神様に告白できます。告白した罪は赦されきよめられます。だから、隠さずごまかさずにちゃんと言った方がいいに決まってます。
ダビデはいつも自分の内面をチェックしていました。また、神様にチェックしてください、調べてください、きよめてください、と祈っています。
1 私を弁護してください。
主よ。
私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを。
2 主よ。
私を調べ、私を試みてください。
私の思いと私の心をためしてください。
新改訳2017は2節「心の深みまで精錬してください」と訳しました。「精錬」とは不純物を浮き立たせて捨てていくことです。罪に気付いたらすぐに告白して捨てていくことです。それができるのは、神様の恵みの大きさを知っているからです。
3 あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました。
ダビデの時代には、罪を犯した人は赦されるために牛や羊などの「罪のためのいけにえ」を連れてきて罪を告白し、その動物を身代わりに殺しました。その動物を焼くのが当時の「祭壇」です。祭壇は自分の罪がゆるされる場所です。
6 主よ。
私は手を洗ってきよくし、あなたの祭壇の回りを歩きましょう。
7 感謝の声を聞こえさせ、あなたの奇しいみわざを余すことなく、語り告げましょう。
8 主よ。
私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します。
赦しを知った人は感謝します。赦しがあるからこそ、祭壇で罪を正直に認め告白できます。イエス様の十字架の処刑は、人類にとって最後のいけにえであり、祭壇です。いけにえ礼拝はあの十字架の処刑で終了しました。もう、動物のいけにはは不要です。この赦しの福音は僕らを完全に守ってくれます。福音を信じてる人は安心、安全です。
12 私の足は平らな所(安全、安心な所)に立っています。
私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。
もしも、この愛と赦しを知らないならばどうしてもごまかしてしまいます。「大丈夫はふり」をしてやり過ごそうとします。心で悪いことを思っていてもです。それは不真実だし、偽善です。ダビデは「私は偽善はやめます」と言い切っています。
4 私は、不信実な人(うわべは良いことを言うけど心に悪がある人)とともにすわらず、偽善者とともに行きません。
5 私は、悪を行なう者の集まりを憎み、悪者とともにすわりません
イエス様の恵みは完全です。今日も僕らのすべてを知って祈って下っています。イエス様の弁護は、そして十字架の血は完全に僕らを赦します。イエス様が願っておられるのは僕らが内側からきよくなることです。
今日、ダビデのように祈りましょう。
「主よ 私の心の内側を調べてください。罪や汚れの心に気づかせてください。」と。
そして、気が付いた罪はどんな小さなものでもちゃんと口に出して認めましょう。ちゃんと謝って、「この罪をやめます。」と祈りましょう。
(新約聖書 1ヨハネ 1:8-9)
もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

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