神様は僕らに平安や喜びを与えようとなさいます。それは何度も書かれています。これは現代の僕らにも与えられるものです。その神様は同じく旧約時代のイスラエル人たちにも祝福を与え、良い土地に住めるようにと導いてくださった神様です。イスラエル人たちは400年間も奴隷でしたが神様は彼らに自由を約束し、祝福された良い土地に住むようにと導かれました。
ところが、与えられる土地は祝福された土地ですが、そこの先住民は淫らな行為と、それによって生まれた赤ちゃんを生け贄にして殺す偶像礼拝者でした。神様はその祭壇を完全に壊しなさい、と命じています。そしてその人々と契約(結婚)してはならない、と何度も言っておられます。だのに、イスラエル人は彼らと妥協する道を選びます。特に問題だったのは彼らとの結婚です。
(士師記3.5-6)
イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。
結果、イスラエル人たちは神様を忘れ、一緒になって忌むべき淫行と赤ちゃん殺しをし始めます。これは神様にとって怒りであり悲しみです。イスラエル人たちは自分から神様の安全、安心を捨てました。神様から離れて淫らな交わりに入ることは祝福を自分から手放し捨てることでした。
2 あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。
3 それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」
4 主の使いがこれらのことばをイスラエル人全体に語ったとき、民は声をあげて泣いた。
イスラエル人たちは、強く言われたり、強い指導者がいる時は神様に従うのですが、その指導者やその世代の長老たちが死ぬとすぐに忘れます。神様から離れることがどんなに危険で苦しいことか、次の世代にちゃんと伝わっていないことが書かれています。
7 民は、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って主がイスラエルに行なわれたすべての大きなわざを見た長老たちの生きている間、主に仕えた。
8 主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。(…中略…)
10 その同世代の者もみな、その先祖のもとに集められたが、彼らのあとに、主を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった。
11 それで、イスラエル人は主の目の前に悪を行ない、バアルに仕えた。
12 彼らは、エジプトの地から自分たちを連れ出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、彼らの回りにいる国々の民の神々に従い、それらを拝み、主を怒らせた。
13 彼らが主を捨てて、バアルとアシュタロテに仕えたので、
14 主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを略奪者の手に渡して、彼らを略奪させた。主は回りの敵の手に彼らを売り渡した。それで、彼らはもはや、敵の前に立ち向かうことができなかった。
15 彼らがどこへ出て行っても、主の手が彼らにわざわいをもたらした。主が告げ、主が彼らに誓われたとおりであった。それで、彼らは非常に苦しんだ。
イスラエル人たちが(僕ら信仰者もだけど)敵に勝ったり、祝福されたり、土地を手に入れたり、安心したり、あらゆる良いことがあるのは、彼らが(僕らが)強かったからでなく、賢かったからでもありません。ただ、神様が一緒にいて力を与えてくださり、あらゆる災いから盾のように守ってくださったからです。敵が触れないようにしてくださるのは神様です。だのに、彼らは神様を忘れ、自分から罪を求め、神様の手を振り払います。神様はお望み通りに不安と苦しみを与えます。警告していた通りです。
14 主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを略奪者の手に渡して、彼らを略奪させた。主は回りの敵の手に彼らを売り渡した。それで、彼らはもはや、敵の前に立ち向かうことができなかった。
15 彼らがどこへ出て行っても、主の手が彼らにわざわいをもたらした。主が告げ、主が彼らに誓われたとおりであった。それで、彼らは非常に苦しんだ。
苦しくなると、一時的に神様を求めます。痛い目に合ってはじめて彼らは神様を思い出します。そして神様は祈りやうめきに答えてくださいます。だけど、やっぱり一時的で、「困った時の神頼み」です。苦しみが終わったり、霊的な指導者が死ぬと、やっぱり神様を忘れて悪くなっていきます。
18 主が彼らのためにさばきつかさ(指導者)を起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。これは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。
19 しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行ないや、頑迷な生き方を捨てなかった。
イスラエル人の歴史はこの繰り返しです。イスラエル人たちの愚かな記録は、僕らへの警告です。指導者が良くても悪くても、周りの淫らな世界がどんなに魅力的に見えても、僕らは自分で神様のことばを求め、神様に従うのが祝福です。
また、次の世代に神様に従う祝福をちゃんと伝える責任もあります。神様が僕らに与えようとしておられるのは、災いではなく、祝福です。恐怖ではなく平安です。罪の結果は悲惨です。今日も、主のことばを求め、主のことばを聞き、従いましょう。そして、子どもたちに教えましょう。子どもたちの世代が苦しむのか、祝福されるのか、僕ら大人にも伝える責任があります。
神様のことばをいつも求めることはどんなことよりも価値があります。主は良い方です。ハレルヤ!
(旧約聖書 詩篇 1:3)
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
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