2023年2月20日月曜日

詩篇32篇

 人間の最高の幸せとは何か、今日の箇所は教えています。それは、神様に愛され、さばかれず、受け入れられ、祝福されていることです。どんなに良い学校にいっても、どんなに良い収入があっても、家庭を築いても、神様に愛されず、さばかれ続け、認められず、受け入れられないなら、神様の目をびくびくと恐れて生活するなら不幸です


人間には必ず罪があります。そして罪がある限り神様のさばきを恐れ、神様を避けて生きることになります。聖なる神様が罪を愛して受け入れることはありません。神様は正しく怒り、さばく方です。神様を避け、神様に受け入れられないその辛さをダビデは言います。


3 私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。

4 それは、御手(神様のさばき)が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです


ダビデはその重荷に耐えきれず、自分の罪を正直に神様に告白して謝りました。告白した罪は赦されます。聖書が僕らに伝えていることは「赦し」です


5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。

私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。


ダビデは罪ゆるされたことが嬉しくて「なんて幸いなんだ!なんて祝福されているんだ!」と喜んでこの詩を書きました。


1 幸いなことよ。

そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。

2 幸いなことよ。

主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。


神様はダビデだけでなく、僕ら全員にこの喜びを与えようとしておられます。神様が願っておられることはさばきでなく、重荷でもなく救いの歓声です


7 あなた(神様)は苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。


11 正しい者たち。(告白して赦された人たち)主にあって、喜び、楽しめ。

すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。


今日、正直に自分の罪を神様に言いましょう。罪はない、という人は嘘つきです。罪はあります。そしてイエス様はその罪を引き受けて十字架の上で身代わりの呪いを受けてくださいました。


(新約聖書 1ヨハネ1.8-9)

もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。



ぜひ祈りましょう。カッコの中に具体的な罪を入れて心から祈りましょう。もちろん以下の通りでなくてもいいですが、自分のことばで、心から罪を神様に告白しましょう。

罪は赦されます。重荷や苦しみは喜びと歓声に変わります。


(祈りの例)

●神様は、私は(     )をしてあなたを悲しませました。この罪を赦してください。

●私の心の中には(     )という悪い心があります。あなたはすでに知っておられます。

この罪を赦してください。この罪を手放します。

●私は(     )さんをさばき、赦していません。わたしは(      )さんを赦します。

(      )さんを祝福し、愛します。(      )さんを私の罪の影響から癒し、祝福してください。

●私は自分を赦さず、さばき、せめています。この罪を赦してください。

●私は神様について(      )と思い、神様のせいにしてあなたを悲しませました。この罪を赦してください。

●今までの罪の悪影響から私を解放してください。喜びと自由を与えてください。

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