2023年2月21日火曜日

マルコの福音書8.1-13

 マルコの福音書8.1-13

神様は僕らの信仰生活だけに関心がある神様ではありません。日々の生活のすべてが守られるようにと神様の側が願っておられます。イエス様は僕ら人間の健康にも食べ物にも関心を持ち、良いものを与えたいと願っておられます。
ある時、イエス様を求めて集まった群衆が3日間も食べていない事態が起こりました。イエス様はそれを「はらわたがちぎれる思い」で同情してくださいました。
1 そのころ、また大ぜいの人の群れが集まっていたが、食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼んで言われた。
2 「かわいそうに、(私は腸のちぎれる想いがする、の意味)この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。
3 空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなるでしょう。それに遠くから来ている人もいます。」
イエス様はすぐにでも天からパンを降らせることができます。…ですが、そうはせず、弟子たちの持っている少しのパンを分け合うことを通して人々に食べ物を与えます。
5 すると、イエスは尋ねられた。「パンはどれぐらいありますか。」弟子たちは、「七つです。」と答えた。
6 すると、イエスは群衆に、地面にすわるようにおっしゃった。それから、七つのパンを取り、感謝をささげてからそれを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
僕らの持ち物は全部神様からの預かりものです。それを自分だけのものとしないで、分け合うことに価値があります。
「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」(マルコ6.37)とおっしゃる方です。
この時の群衆は約4000人でした。そして、パンはわずか7個でした。
イエス様が求めておられるのは与えられているものを感謝して分け合うことです。求めておられるのは量が足りるかどうかの計算ではありません。今ある少しのものを感謝すること、そして、それを分け合うことです。
イエス様はわずかなパンが与えられていることを神様に感謝して分けました。それを弟子たちに与え、弟子たちはそれを配りました。
7 また、魚が少しばかりあったので、そのために感謝をささげてから、これも配るように言われた。
8 人々は食べて満腹した。そして余りのパン切れを七つのかごに取り集めた。
9 人々はおよそ四千人であった。それからイエスは、彼らを解散させられた。
同じ量でも「こんなに与えられている」と感謝することもできるし、「これしかない」と文句を言うこともできます。そして聖書は「感謝しなさい」と教えています。「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」と聖書は言います。(エペソ 5:20)
僕らの時間も力も神様からの預かりものです。量の大小は関係ありません。それを感謝して隣人のために分け合うことに価値があるし、神様はそれを喜び祝福してくださいます。『受けるよりも与えるほうが幸いです。』とイエス様は言われます。(使徒の働き20.35)
預かってるものを感謝しましょう。そして神様と隣人のために与えましょう。神様はそれを豊かに増やしてくださいます。
(2コリント9.7-8)
神は喜んで与える人を愛してくださいます。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
神様はわざわざ僕らの少しの持ち物や時間や力を用いようとされています。それは、僕らが神様の愛と恵みのプロジェクトに参加するためです。神様は今日も僕らと一緒に人々を愛し助け支えたいと願っておられます。今日も少しの力を、少しのお金を、少しの時間を神様と隣人のために使ってもらいましょう。喜びと祝福が待っています。ハレルヤ!

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