2023年3月1日水曜日

詩篇18.30-50

 詩篇18.30-50

「神様のことば」とか「教え」と聞くと「縛り」とか、「不自由」と感じる人が多いようです。ですが、現実は真逆です。神様のことばは僕らに力を与え、自由を与えてくださいます。イエス様はおっしゃいました。
(新約聖書ヨハネ 8:31-32)
あなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、(…中略…)あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
神様のことばに従うことによって勝利を得る喜びが詩篇に書かれています。
32 この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
33 彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。(断崖の危険なところでも鹿は立つことができるように、危険なところでも神様が守り立たせてくださいます。)
34 戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。
神様の「純粋なことば」こそが守りと力の源です。
30 神、その道は完全。
主のみことばは純粋。
主はすべて彼に身を避ける者の盾。
イエス様もおっしゃいました。
(新約聖書 マタイ4.4)
人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。
もしも、赤ちゃんのミルクに添加物を加え続けたり、有害物質を混ぜて飲ませ続けるなら、必ず健康を害します。同じように、神様のことばは純粋なのに、僕らはいつのまにか自分の考えを混ぜてしまいます。みことば以外の考えを混ぜるなら、結果、力を失います。神様のことばは僕らを祝福するものです。
ダビデが苦しみの中で完全に勝利できたのは神様のことばにより頼み、それに加えず、信頼して従ったからでした。
36 あなたは私を大またで歩かせます。
私のくるぶしはよろけませんでした。
37 私は、敵を追って、これに追いつき、絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。
38 私が彼らを打ち砕いたため、彼らは立つことができず、私の足もとに倒れました。
39 あなたは、戦いのために、私に力を帯びさせ、私に立ち向かう者を私のもとにひれ伏させました。
40 また、敵が私に背を見せるようにされたので、私は私を憎む者を滅ぼしました。
神様のことばに従うことは完全な勝利と喜びしかありません。僕らがもしも神様のことば以外で乗り切ろうとするなら、その結果は不自由であり、不安であり、劣等感や怒りであり、敗北です。
神様はそのことばで僕らを救い出そうとしておられます。
46 主は生きておられる。
ほむべきかな。
わが岩。
あがむべきかな。
わが救いの神。(…中略…)
48 神は、私の敵から私を助け出される方。
まことに、あなたは私に立ち向かう者から私を引き上げ、暴虐の者から私を救い出されます。
49 それゆえ、主よ。
私は、国々の中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌います。
この詩篇を書いたダビデは神様のことばを純粋に信じて従うことを心がけていました。それが勝利と自由と喜びにつながることを知っていたからです。
21 私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。
22 主のすべてのさばきは私の前にあり、主のおきてを私は遠ざけなかった。
神様のことばは僕らに力を与え、自由を与えてくださいます。
今直面している問題の中に、神様のことばに混ぜている考えはあるでしょうか。神様の純粋なことばは勝利です。しかし、敵は上手に嘘を混入させて力を失わせようとします。悪魔は良さそうなことばで僕らに近づいてきます。
人をダマすときに一番大事なことは親切そうに、安心させ、信用させることです。しかし、僕らは純粋な神様のことばを聞くことによって、不純物を判別することができます。
30 神、その道は完全。
主のみことばは純粋。
主はすべて彼に身を避ける者の盾。
もしも、不安感、敗北感、怒り、孤独等が僕らを覆っているなら、神様に聞いてみましょう。神様のことばよりも大事にしてしまっている考えやポリシーがあるでしょうか。神様は僕らに自由と祝福を与えようとしておられます。もしも、不純物に気が付いたら手放す祈りをしましょう。それが祝福に導かれる悔い改めです。悔い改めとは、クヨクヨすることではなく、神様に従う喜びへの一歩を決断して踏み出すことです。
(新約聖書ヨハネ 8:31-32)
あなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、(…中略…)あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

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