2023年3月6日月曜日

1ヨハネ1章

 1ヨハネ1章

神様のことばは単なることばではなくて、いのちそのもの、力そのものです。いのちのことばが人間になってこの地上に来てくださいました。ことばが人間になって来てくださったので、ヨハネはイエス様を見ることができたし、触ることができました。
1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことば(イエス様のこと)について、
ヨハネはイエス様と3年も一緒に生活しました。それは、天地を作った「いのちのことば」と一緒に生活したことです。ヨハネはそれを手紙に書いて伝えています。
2 ――このいのち(イエス様のこと)が現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。
イエス様=永遠のいのちです。なので、イエス様を信じて受け入れ、イエス様に祈ったり、イエス様のことばを聞いて交わる人は、永遠のいのちとの交わりをすることです。「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ること(体験的に交わること)です。」(新約聖書ヨハネの福音書17.3)
3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
イエス様を信じた人はみんなイエス様とつながっています。
その交わりはまるで一体化しているかのようです。イエス様とつながることは、永遠のいのちとつながることです。
例えば、ブドウの木と枝のように一つです。また、からだと体の各器官のように一つです。また、夫と妻のように一体です。(ヨハネ15.5、ローマ12.5、エペソ5.31-32など) なので、信じた人同士の交わりはイエス様との交わりであり、永遠のいのちとの交わりです。
イエス様は好きだけど、教会は避けたい、という人がいますが(僕が昔そうでした。)それはあり得えないし、矛盾しています。なぜなら教会はキリストと一体とされているからです。罪人が招かれ、キリストに赦され、一つとされています。キリストと交わることは教会の仲間と交わることにつながります。キリストに罪が赦されることは、教会の仲間にも赦されること、また、相手を赦すことにつながります。キリストに愛され、キリストを愛することは、教会の仲間を愛し、愛されることにつながります。「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(3節)
しかも、イエス様との交わりには喜びがあります。イエス様の御霊は喜びです。交わりは喜びのためです。(新約聖書ガラテヤ5.22) 
4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
神様との交わりには暗いところがありません。光である神様に照らされれば、醜いところもウラ面もばれています。そもそも、神様の前には裏もオモテもありません。神様には全部がさらけ出されています。もし、表面だけの交わりで、裏面を隠しているのなら、それはウソだし疲れます。罪のない人はいません。光に照らされると、自分の罪が見えます。
5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
神様にはバレているのに、僕らは表面的にいい顔をして「罪はない」という人がいたら嘘つきです。全ての人に罪があります。だから、神様にはそれを認めて、告白して、あやまりましょう。神様は必ず赦しきよめてくださいます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
弱さも罪も恥も神様にはばれています。そして、イエス様は十字架で血を流して、その罪を赦しきよめてくださいました。だから、神様の前ではいい子を演じる必要はありません。むしろ正直になりましょう。教会の仲間の前でも背伸びをしていい子を演じる必要はありません。それなら、喜びではなく重荷です。
永遠のいのちであるイエス様は罪のある僕らを愛し、赦し、交わりに招いてくださっています。「光の中を歩む」とは、ゴミがよく見える状態です。光があるので、ゴミがよく見えます。そして、ゴミは毎日捨てましょう。ゴミがない「きれいなフリ」はやめましょう。毎日、罪を認めて、罪を告白して歩むこと、それが喜びです。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
どんな罪でもゆるされます。
どんな恥も汚れもきよくされます。
罪を認めましょう。告白しましょう。汚物を抱えている必要はないです。
罪が多いほどに赦しの恵みも大きいです!

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