2023年6月10日土曜日

ヨシュア14章6-15

 「信じた通りになります!」ヨシュア14章6-15 6/11用


杉本さんが2週間前に証してくださいました。昔、先輩のクリスチャンに祈りましょうと言われて、祈っているときに、神様から、信じて祈ってるのか?と問われた証。その時は祈ってはいたけど、信じてはいなかった、とおっしゃっていました。私も皆さんもすごく自分のこととして、神様から問われたと思います。

信じて祈ってるのか?それとも、ただ口だけ祈っているだけなのか。神様が言われた通りになると、信じているのかどうか。私たちにも問われます。

イエス様はあなたの信じた通りになるように、と言われます。また、イエス様が時々あなたの信仰があなたを癒したともおっしゃいます。


今日の箇所は神様がおっしゃったことそのまま信じた人の実話です。なんでも夢が叶う、と言うことではなく、神様がおっしゃったことは信じた通りになります!と言うタイトルです。


神様はイスラエル人たちにカナンの土地を与えると約束されました。1章では「すでにあなたがたに与えている。」(3)とおっしゃいます。人間から見るとまだなのに、時間を超えておられる神様から見ると、もうすでに与え終わっています。あとは、聞いた人が信じてその通りに行動するだけです。



(1章3節)

わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。



ヨシュアとイスラエルの民はその言葉を信じて、歩み出しました。必ず与えられるのですが、聞いた人たちはただぼーっとしているのではなく、信じて、出発して、戦って、その土地を手に入れる、というプロセスが必要でした。信じることと従んで歩み出すことはセットです。

信じて出発し「あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく」与えられます。(3)


信じて進んだら神様の言われた通りにカナンの地が与えられました。


14章から具体的に、どの部族がどの土地、ということが書かれています。まだ全部ではないけど、ここまで神様の言われた通りだった、という箇所です。そして、これからも信頼して進んでいこう、という箇所です。


●神様の言う通りになった45年間


ここで、カレブがヨシュアのところにきます。

この二人若い時からの信仰のとも、同志。一緒に信仰のために戦った友人。


高齢者二人が、神様の言葉は真実だった、神様の言われた通りになった、ということを振り返ります。

この時カレブ85歳。「今日、私は八十五歳です。」(10)とあります。

神様が、あなたに必ずこの地を与えると直接言われたのはさらに45年前だったね、と振り返ります。


この時ヨシュアはもうちょっと年上だったようです。諸説あります。90歳くらいだのでは、という説もあるし100歳くらいだったのでは、という先生います。高齢者二人がこの45年間を振り返ります。二人は若い時からの信仰の友です。一緒に戦ってきた戦友です。だから、お前、俺、という関係だったかもしれません。


(6-8)

6,ユダ族の人々がギルガルのヨシュアのところにやって来た。その一人ケナズ人エフンネの子カレブがヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて神の人モーセに話されたことを、あなたはよくご存じのはずです。

7,主のしもべモーセがこの地を偵察させるために、私をカデシュ・バルネア(※地図参照)から遣わしたとき、私は四十歳でした。私は自分の心にあるとおりを彼に報告しました。

8,私とともに上って行った私の兄弟たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、主に従い通しました。



45年前、彼が40歳の時、どんなことがあったのか?民数記13-14章ちょっと長いけど、大事な箇所なので一緒に読みます。


この地がイスラエルのものとなる、と言う約束は、何度も神様が繰り返し約束してくださった事でした。

これは決定事項でした。それで、45年前、モーセがまだ生きていたとき、12人を選んでその土地を偵察させます。その時の12人に選ばれたのが、40歳のカレブ、そしてちょっと年上のヨシュアでした。彼らはカナンの地を偵察して報告します。



(民数 13:27)

そこにはまことに乳と蜜が流れています。

そしてこれがそこのくだものです。


おお、素晴らしい土地。

ただ、ヨシュアとカレブ以外の10人が、その土地に行くことに反対します。


(民数 13:28)

しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。


そうすると、報告を聞いた人たちの顔は見る見る曇っていった。

それを知ったカレブは神様のみ心に沿った発言をします。


 (民数 13:30)

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。

「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。

必ずそれができるから。」 


ヨシュアとカレブは神様がおっしゃることは必ずなる、と信じて発言する。これが私はあの時、心のにある通りに言いました、と言うこと。けど、他の10人は反対のことを言います。これが、兄弟たちは民の心をくじきました、と言うことです。(8)


(民数 13:31)

しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。

「私たちはあの民のところに攻め上れない。

あの民は私たちより強いから。」


彼らは「攻め上れない」といいます。

偵察しなさい、と行っただけで、行けるかどうか判断しなさい、とは言われていない。神様は与える、必ず与える、と何度もおっしゃっている。行くのは決定事項。だのに、彼らは攻め上れない、と神様とは真逆の判断をする。さらにこの10人は人々がそこにいかないように、悪くいいふらします。


(民数 13:32)彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。

「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。

私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。


(民数 13:33)そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。

私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」


彼らは誇張する。情報操作。群衆を恐怖に落とす。神様は大丈夫、与える、と言っているのに、無理だ無理だと現実はこうだ、と不安感を煽る。人々はすっかりそう思い込んで、さらに悪い想像が膨れ上がれもう、すでに自分が殺されたように泣き悲しむ。


(民数 14:1)

全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。


不安は怒りになります。今でいう炎上。怒りは指導者に向けられます。指導者であるモーセ、アロンに文句をいう。そして、神様に文句を言い怒りを向ける。彼らはもう、殺される、と確定事項のように信じています。まるで宗教のように、さらに、ありもしない想像がふくら見ます。妻や子どもらはさらわれる、と言う話がまるで真実のように広がります。


(民数 14:3)

なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。

私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。

エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」


悪いことが起こるという想像力のはすごい。まるで、それが確定事項のように言い切る。それは広がります。嘆き悲しみ怒る。私たち人間は不思議なことに、神様の言葉は信じないくせに、不安なこと、悪い想像は信じます。起ってもない思い煩いを作り出しては怒り、ありもしないことで悲しみ、それ故に人を攻撃する。神様の言葉から離れると人間は平安からも離れます。神様の前には喜びと愛と平安があり、神様から離れたところには悲しみと不安と怒りがあります。

ヨシュアとカレブはその時、みんなが妄想や心配に洗脳されておかしくなっているのを見て、語ります。



(民数 14:6-7)すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。



(民数 14:9-10)

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。(…中略…)主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」


ヨシュアとカレブは必死になって発言した。でも、人々の信仰を立て直すことはできなかった。



(民数 14:10)しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現われた。


あいつら殺せ、という話にさえなった。

そこで神様の栄光が現れ、彼らは救い出され、信じない人たちは全員そこには入れない、と神様がおっしゃいます。

そして、その通りになった、というのがこの45年間です。


(民数 14:29-30)

この荒野であなたがたは死体となって倒れる。

わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

ただエフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、あなたがたを住まわせるとわたしが誓った地に、だれも決してはいることはできない。



ヨシュアとカレブの世代の人たちはみんなその地に入れないことになった。私たちはそこで殺されるんだ、どうせ無理なんだ、と言った人たちはその通りにお望み通りにこの荒野で死んだ。今生き残っている人はヨシュアとカレブの2人だけ。同世代の仲間はみんな死に絶えました。



カレブは、ヨシュアに、本当に神様の言う通りになったし、私は神様を信じて今もこうして生きている、と言います。


(10)

ご覧ください。イスラエルが荒野を歩んでいたときに、主がこのことばをモーセに語って以来四十五年、主は語られたとおりに私を生かしてくださいました。ご覧ください。今日、私は八十五歳です。


私を生かしてくださいました、反対に言うと、私とあなたヨシュア以外はみんな荒野で死んでしまった。神様の言われた通りだった。と言うことです。神様がおっしゃることは実現します。「主は語られたとおりに私を生かしてくださいました」他の同世代はみんな死んだのに、神様は言われた通りです。そして、たくさんの戦いがあったのに、自分より強い敵と戦ったのに、神様が言われた通りに今も生きています。


しかも、元気です。


(11)

モーセが私を遣わした日と同様に、今も私は壮健です。私の今の力はあの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです。



●神様の言う通りになるこれから。


思い出話をするだけでなく、ヨシュアにお願いに来ました。これからもみ言葉に従っていこう、と。


(12)

今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」


85歳で引退ではなく、「主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」

しかも、これから戦いに行こうとしてる土地はヘブロン、という山地。高い山にある街は攻撃しずらい。しかも、アナク人がいる。アナク人というのは45年前、人々が巨人がいる、自分達はあれと比べればバッタやイナゴのように小さい、と言った強い人たちがいるところ、しかも、城壁がある、大きな町々。


神様の言葉の通りになりました。信じた通りでした。だからいくらこっちが弱く見えても神様が一緒だから大丈夫です、という信仰です。

「しかし主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」


しかも、9節で神様がおっしゃった通りです。


9 その日、モーセは誓いました。『あなたの足が踏む地は必ず、永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが私の神、主に従い通したからである。』 


85歳になって弱くなるどころか、神様が一緒なら神様の言う通りに彼らを追い払うことができます、と言いにきた。行かせてください。必ず手に入れますから。それで、ヨシュアはカレブにヘブロンを与えました。簡単に言いますけど、これはその土地の人々と戦うと言うと言うことです。

神様によって、神様の言葉の通りに彼はその地で戦います。どうなったか、13節以降に書かれています。


(13-15)

13,ヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。

14,このようにして、ヘブロンはケナズ人エフンネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。

15,ヘブロンの名は、かつてはキルヤテ・アルバであった。これは、アルバがアナク人の中の最も偉大な人物であったことによる。こうして、その地に戦争はやんだ。


聖書は、何度も神様がおっしゃった通りになった、と言います。



●信じることはその通りにすること(適用)


神様の言葉は私たちが信じて行動する、ということとセットです。

カレブは従い通しました。45年ずっとです。聖書は繰り返します。


8節 私の神、主に従い通しました。 

9節 あなたが私の神、主に従い通したからである。

14節  彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。



信じることは従って行動することです。


部活でいい成績残したいけど、練習はサボる、その人はいい成績を手に入れることができないです。

憧れの学校に入学したいけど、受験勉強はしない、その人は入れない。

憧れの会社に入りたいけど、就職活動はしない、その人は入れない。


信仰は行動に出ます。カレブは85歳になって、いいます。


(12)

そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」 


本当に信じた通りにして下さいました。

必要なのは「信じること」です。信じることは行動すること。神様の力は僕らが神様の願いと一つになって行動することによります。


(2歴代16:9)

主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。



神様が会社の仕事でも神様の栄光を表してくださる、と信じた人は心を込めて仕事をします。サボりません。

神様が家族や友人に信仰を与えて永遠の命くださる、信じた人は、心を込めて愛して関わります。ほっときません。



カレブが信じた通りになったのは、彼が従い通したから、と聖書は繰り返しています。

自分から出る悪い想像を信じる人は、そのように行動します。きっと悪いことが起こる、と言うテイで行動し、怒りと不満を抱えたまま動きます。これは不信仰です。


神様が与えてくださるのは、「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29.11)


ヘブル 10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。


カレブもヨシュアも、40年間、文句ばかり言う仲間と過ごしました。

いつも神様に対して不満を言う人が死んでいなくなり、世代交代するまで40年間忍耐しました。


お金がないから無理、と周りは言います。自分もそう思います。でも神様はお金持ちです。

孤独、寂しい、みんなわかってくれない、と言います。でも神様はずっと一緒にいる、全てを知っている、とおっしゃいます。

人間関係に問題がある、性格が悪い、欠点があるからダメだと周りは言います。自分も思います。でもイエス様が十字架によってゆるした、きよめた、とおっしゃいます。義とされた、聖なるもの、と行っておられます。

家族に問題がある。とか親が悪い、と言います。思います。でも、神様があなたの父親になりました。あなたは神様の子供、神様の家族になりました。


いつも僕らは自分ばかりをみて、状況を見て、周りの人の文句ばかりを聞いて落胆したり、怒ったりします。それは不信仰です。僕らがまず求め考え繰り返し反芻する言葉は神様の言葉です。神様がなんとおっしゃっているか、神様はどんな方か、です。神様がどんな約束を与えてくださっているか、です。


みなさんが今日、あれがないこれがない、ああだからダメだ、こうだから無理だ、と思っていることは、神様の言葉でしょうか。

どちらを信じて動いているでしょう。みなさんが今やろうとしていることは、神様の言葉への信頼でしょうか。それとも人が作り出した妄想でしょうか。


信じた通りになります!神様の言葉は信じた通りになります!


ヘブル 12:2 イエスから目を離さないでいなさい。


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考えてみましょう。

●あなたが決断して動く時の動機は何が多いか考えてみましょう。

●あなたの不満や怒りの原因は何が多いか考えてみましょう。

●それらが神様のみことばへの信頼か、それともそれ以外が中心か考えてみましょう。




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