2023年6月12日月曜日

ヨシュア15.20-63

 ヨシュア15.20-63


聖絶とは完全に滅ぼし尽くし回復できないようにすることです。一掃され、そこに存在しなかったかのように消去されることです。

町ごとにそこに住む人間全てが消されていくのが聖絶です。「それって残酷! ひどくない?!」と思われるかもしれません。が、神様はこの世界全てをもともとはすごく良い、素晴らしい、悪も悲しみもひとつもなかった完璧な世界に造られました。そして神様は罪で汚染された世界を消し去り、新しく完全な神様の国をもう一度回復させようとされています。


罪で汚染された町が消され、新しく神様の願いに沿った聖なる町に変えられることが、世の終わりには世界規模で実現します。ですが、その先駆けとして今から3500年ほど前にまずイスラエルが聖なる民として聖なる土地に住むようにされました。偶像を拝む先住民たちは町ごと滅ぼされていきます。世界は神様のものだからです。


ヨシュア15章にはユダ族に与えらた土地の境界線、そして、滅ぼされた町のリストがズラーっと続きます。カタカナだらけで僕らにはよくわかりません。 でも、戦闘機もミサイルもない時代に、剣だけでこれらの町は滅ぼされました。神様の手足としてイスラエル人たちが用いられ、ひとつひとつの町で戦い、勝利し、聖絶し、神様の土地となっていったリストです。


(20-21)

ユダ部族の諸氏族の相続地は次のとおりである。 エドムの国境の方、ネゲブにあるユダ部族の最南端の町々はカブツェエル、エデル、ヤグル、(…以下略…)



聖絶された町の名前が20から62節まで延々と続きます。読むだけで大変です。読むだけでも大変だけど、本当に毎回毎回の戦いのために使った時間とエネルギーは想像を超えています。でも、戦ってくださったのは神様ご自身です。そしてイスラエルには神様のことばへの信頼がありました。神様は「わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。」(1.3)と言われました。まだ、与えられていないのに、時間を超えている神さまは「すでに与えている」と言われます。それを信じて戦い、汚れた町は消され、土地は聖なる土地と変えられていきました。


神様を信じることは心の中だけの信仰ではありません。単なるアタマの中の宗教ではありません。心の問題、考え方の問題ではなく、現実に歴史の中で神様がご計画を実行されています。そして神様のご計画を信じた人はその通りに従い、動き、用いられます。神様はこの世界の空間の中で、歴史の中で、時間の中でリアルに働いておられます。今もそれは続いています。信仰と世界の動きは別物ではないです。神の国は「あの世」だけの話ではありません。僕らはこの時代に、神様に呼ばれ、イエス様によって先に聖なる民となり、現実の世界の中で神さまに用いられ、神様のご計画は実行に移されています。


神様が汚れたものも人も町ごと消すために一緒にイスラエルが戦ったように、僕らも今キリストの兵士としてあらゆる悪や罪と戦っています。全てが一掃されるまで戦いは続きます。もちろん、イエス様によって僕らは聖なるものとされました。罪に定められることは決してありません。大丈夫です。ローマ8.1など、聖書は安心させてくれる宣言で満ちています。安心しましょう。ですが、同時に、まだまだ戦いの途中です。まだまだ神様の願いとは違う、征服すべき、一掃されるべき罪の領域だらけです。神様の福音を伝えることは、神様のきよさと世の終わりの完璧な裁きを伝えることとセットです


15章の最後にイスラエルが追い出せなかったエブス人がいたことが書かれています



(63)

エルサレムの住民エブス人を、ユダ族は追い払うことができなかった。エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んだ。今日もそうである。


神様は何度も聖絶せよ、一掃せよ、妥協してはならない、と繰り返し言われています。神様と共存できない罪や汚れに関して「これくらいはまあ、いっか」とは言えません。パウロもこれでよし、とは思ってませんでした。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。(…中略…)ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3.12-14)


イエス様を信じる人はすでに聖なる人とされています。でも、いまだに戦い中です。「すでに」と「いまだ」の間です。世界も同じです。すでに神様のものです。でも、いまだに神様に反抗している世界です。今日も神様がお嫌いになるものを捨て、イエス様がきよめてくださる約束を信じて勝利しましょう。大丈夫です。勝てます。イエス様が勝っているからです。


(ヨハネ16:33

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

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