ヨシュア記17章12-17 「必ずできるから。」
費用に対して効果があることコスパといい、時間に対して効果があること、タイパ、というそうです。
で、僕らはなるべく費用かけずに最大のものを手に入れたい、時間をかけずに楽をして、効果を得たいです。神様の命令や神様の願いに対しても同じで、神様に従うことも、あまり苦労しないで、最大の祝福だけを欲しい、時間はかけたくないけど、苦労はしたくないけど、良いものは欲しい、と思います。
神様はイスラエル人たちに土地を与えてくださいます。神様が与えてくださるのですが、実際に時間をかけて、命をかけて戦うのはイスラエル人たちです。彼らが勇気と力を持てる理由は「神様が一緒にいてくださる」「神様が勝利させてくださる」ということばへの信頼でした。
次にそれとは真逆の人たちが書かれています。マナセ族は最高の土地を与えられましたが、最後までカナン人の町を占領することができず、カナン人を追い出せませんでした。「できなかった」というよりも「神様に従わなかった」のです。
12 しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの地に継続して住んだ。
彼らは神様が滅ぼすと言われたカナン人をそのままにしました。それで続きを読むと、今度はヨシュアに文句を言います。14章はヨセフ族、とありますが、「ヨセフ族」とはマナセ族とエフライム族の総称です。
すばらしい土地を与えられる約束がある、しかも、カナン人を追い出さなかった、という話の続きです。
「人数の割にはここは狭すぎます。もっと多く与えてくれないんですか?ここ一カ所だけですか?」と文句を言っています。
14 ヨセフ族はヨシュアに告げた。「あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほど数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」
彼らは「狭い」と言いますが、狭い理由は彼らがカナン人を追い出していないからです。一つの場所しか、与えてくれない、と言いますが、ヨシュアもっと与えられる、その通り、1つだけではいけない、今の場所が全てではない、とヨシュアは言います。
17 ヨシュアはヨセフの家、すなわち、エフライムとマナセに言った。「あなたは数の多い民で大きな力がある。あなたには、くじによる割り当て地が一つだけではいけない。
ここには、狭い土地だ、というに彼らの苦情には間違いがあります。今、手に入れた土地は狭い。その通り、神様が与えようとしている土地は、そこだけではない。これから、山を開拓し、戦いに勝利して、手に入れる土地がある、だからやりなさい、と励まします。できるから。数のおおい民だし、力もある。
ジョシュアは、事実上、「ああ、はい、もちろんあなたは素晴らしい人々です!立ち上がって、カナン人を追い出して広い土地を手に入れなさい、と励まします。これは、励まし出し、大丈夫、力がある、と言っている。16節でも、森を自分で切り開きなさい、と言う。狭すぎるのはその通り。
でも、彼らはいろんな言い訳をして動きません。
15 ヨシュアは彼らに言った。「あなたが数の多い民であるのなら、森に上って行きなさい。そこでペリジ人やレファイム人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」
16 ヨセフ族は言った。「山地は私たちに十分ではありません。しかし、平地に住んでいるカナン人はみな、ベテ・シェアンとそれに属する村々にいる者も、イズレエルの平野にいる者も、鉄の戦車を持っています。」
彼らが動きたくない本当の理由は、神様を信じないで敵の戦車を見て恐れていることです。ヨシュアは彼らの言い分を認めず、あくまで自分たちで切り開くように、そしてカナン人を追い払うようにと言います。彼らは、土地を得るためには強い敵と戦わねばならないことが不満でした。それに対し神は、敵は打ち破ればよい(18節)と答えます。彼らはもっと安楽な方法を願っていました。
17 ヨシュアはヨセフの家、すなわち、エフライムとマナセに言った。「あなたは数の多い民で大きな力がある。あなたには、くじによる割り当て地が一つだけではいけない。
18 山地もあなたのものとしなければならない。それが森だとしても切り開いて、その隅々まであなたのものとしなさい。カナン人が鉄の戦車を持っていても、強くても、あなたは彼らを追い払わなければならない。」
「それが森だとしても」阿部先生は東京育ちですが、空襲が激しくなった時に長野県に小学校のみんなと疎開生活をしたそうです。そこで毎日やったことは、開拓して畑を作る、という農作業だそうですが、木を切り倒して根っこからそれを抜くのに、一本やるにに丸一日かかるそうです。だから、森を開拓して自分達の土地にする、というのすごく大変なこと、だと想像できます。今みたいに重機があるのではない時代。でも、神様もヨシュアも、与えている、人数も多いし、力もあるから隅々まであなたのものとしなさい、と言います。
僕らも動かず、文句ばかりを言うことがあります。悪魔はいろんな困難を見せて「やめろ」無理だ、と言います。みなさんにとって、無理だ、やめとこう、と思うことは何でしょう。
神様の答えは明快です。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。」(ヨシュア10.25)です。敵が強く見えても神様に勝てるはずがありません。一緒にいてくださる神様は最強の方です。
今日も僕らはイエス様のからだの器官です。僕らの心もイエス様のものとされました。神様が良い行ないのために用いてくださる僕らの心、口、手、足です。主にささげましょう。主が用いてくださいます。
いろんな理由をつけて、あるいは、大変そうだな、と思って従うことを躊躇するのは僕らの姿そのものです。悪魔の誘惑そのものです。
神様は僕らの人生の全て神様のものとしたいと願っているし、そのように従い切りなさい、と言います。主の約束を聞くだけ、読むだけでなく、実行しなさい、と言います。
ヤコブ 1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
ヤコブ 2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
イスラエルは中々動かなかったし、カナン人を追い出さず、妥協していたことがわかります。その後18章でヨシュは再び、全体に言います。
18:3 ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「あなたがたの父祖の神、主があなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。
僕らの体、人生の全領域を神様のものとすべきです。
ここはいい、ここは残しておく、この欠点はそのままにしておく、ここは神様が嫌いなところだろうけど、放っておく、ということはできません。
また神様が一度だけの人生でやりなさい、と任された領域を最後まで誠実にやり遂げるように言われています。
僕らが神様に従うとき何が起こるか聖書に書かれています。
ヤコブ 4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
僕らが毎日ゴロゴロばかりいて、それでいて「神様が祈りに答えてくれない」とか「良いものをくれない」と文句を言うなら大間違いです。また、困難の大きさばかり見て、無理だ、大変だ、と逃げるのも間違いです。聖書は明らかに神様が言われたことは、できる、実現する、と言っています。
主は僕らを用いてくださいます。僕らが思う以上に良いものを与えようとしてくださっています。主は良い方です。ハレルヤ!
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