2コリント1.1-11
復活進行!という歌の歌詞です。「復活、それは一度ダメでも2度目があるということ」「復活それはダメなように見えてもその先があるということ」聖書が教える希望とか慰めとはこれです。
この世の慰めや希望は「苦しまないようにしよう」「苦しみを和らげよう」というものですが、聖書が教える慰めは死んでもその先に復活がある、だから希望がある、というものです。
僕らは苦しいのはイヤです。でも、「もう無理」「うつ手なし」「八方塞がり」にならないと僕らは本気で神様に求めないし頼らないものです。神様は僕らのお手伝い程度の神様になることは願っていません。僕らの存在の全てになることを願っておられます。そのために、もう自分に頼らず神様に頼るために苦しみは与えられます。
(8-9)
8,兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。
9,実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。
自分には希望がない、自分には命がない、自分には力がない、もうダメ、というところまでいくと、あとは100パーセント神様の計画、神様の命、神様の力だけです。もし文字通りに死んでも大丈夫です。苦しみには目的があります。「それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。」(9)
聖書は「苦しまないよ」「幸せになるよ」とは教えていません。キリストが模範です。全てを失い、手放し、神様に明け渡し、苦しんで死なれました。そのキリストの苦しみは僕らも参加します。でも、その先に復活があります。どん底を経験しますが、回復します。
神様の恵みとか愛とか憐れみは、ラクに通過できるよ、ではなく、一緒に苦しむけどその先に回復があるよ、というものです。これが神様のめぐみ、憐れみ、愛、慰めです。
(2-4)
2,私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
3,私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。
4,神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
5,私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。
どん底も通過点です。その先があります。死にますが、復活します。失いますが、それ以上のものを得ます。
神様は「あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神」です。苦しみはあります。でも、希望と慰めも溢れています。死の向こうに希望が用意されています。ハレルヤ!
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