2023年10月19日木曜日

アモス9章

 アモス9章


ハマスとイスラエルの戦争のニュースはどうしても、「あなたはイスラエルかガザか、どちらの味方か?」と問いかけ、「あなたはどっちが悪いと思うか?」と迫る感じがします。相手を告発し非難すればキリがありません。僕らはただその罪を悲しみ、一緒に謝り、憐れみを求めるしかありません。聖書は「イスラエルが善でパレスチナは悪」とも「その逆」とも言っていません。聖書によると、神様は裁きにおいて特定の民族をひいきすることがありません。(ローマ2.11)僕らも彼らと同じく憎しみ合い殺し合う罪人です。兄弟を憎む者は人殺しです。そして、その人には神様からの永遠のいのちはないと聖書は言います。(1ヨハネ3.15)そんな僕らが憐れみを受けたのは、ただ恵みです。



(ローマ2.9-11)

9,悪を行うすべての者の上には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、苦難と苦悩が下り、

10,善を行うすべての者には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。

11,神にはえこひいきがないからです。



やがて全ての人に神様の裁きが下ります。ユダヤ人か異邦人かは関係ありません。もちろんイスラエルは神様がお作りになった特別な神様の民、聖なる民、長子、愛する子、花嫁です。でも、神様の裁きの日にはその差はなく、預言者アモスはイスラエルへの徹底的な神様の裁き、しかも異邦人と同じ裁きを預言しています。



(1-4)

1,私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭を打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃げられる者はなく、彼らのうち逃れられる者もない。

2,たとえ、よみに入り込んだとしても、わたしの手が、彼らをそこから引きずり出す。たとえ、天に上ったとしても、わたしが彼らをそこから引きずり降ろす。

3,たとえ、カルメルの頂に身を隠したとしても、わたしが彼らをそこから捜し出して捕まえる。たとえ、わたしの目を避けて海の底に身を隠したとしても、わたしが蛇に命じて彼らをそこでかませる。

4,たとえ、敵の捕虜となって行ったとしても、わたしが剣に命じてそこで彼らを殺させる。わたしは彼らの上に目を注ぐ。それは、わざわいのためであって、幸いのためではない。」



(7-8)

7,「イスラエルの子らよ。あなたがたは、わたしにとってクシュ人と同じではないのか。──主のことば──わたしは、イスラエルをエジプトの地から、ペリシテ人をカフトルから、アラムをキルから、連れ上ったではないか。

8,見よ。神である主の目が、罪深い王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、ヤコブの家を根絶やしにすることはない。──主のことば──



それでも憐れみは残されています。神様の裁きの宣言の最後に「しかし、ヤコブの家を根絶やしにすることはない。──主のことば──」とあります。(8)イエス様の使徒ヤコブはこのアモス9章を紹介して、イスラエルも異邦人も同じように神様の憐れみが残されていることを説明しています。



(使徒15章14-19)

14 神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオンが説明しました。 

15 預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。 

16 『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。 

17 それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。 

18 ──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば。』 

19 ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。 



廃墟を立て直し、全ての国々を祝福するのはイエス様のことです。イエス様は約2000年前に一度来られました。そして、もう一度来られます。その時には完全な、平和と繁栄に満ちた世界的な王国が樹立されます。イエス様が再臨されるのはエルサレムです。そこから世界を治め、世界はイエス様のみことばを求める時代が来ることが預言されています。(イザヤ2.2-4、ゼカリヤ8章など)その時に世界は平和と祝福に満たされます。収穫と種まきが同時に起きるような、耕作と刈り取りが同時に起こるような豊かさです。(アモス9.13)



(13-15)

13,見よ、その時代が来る。──主のことば──そのとき、耕す者が刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者が種蒔く者に追いつく。山々は甘いぶどう酒を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。

14,わたしは、わたしの民イスラエルを回復させる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。

15,わたしは、彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない。──あなたの神、主は言われる。」



リビングバイブルは13節を「大豊作で、やっと収穫が終わると思ったら、息つく暇もなく別の種をまく有様で、イスラエルの丘のぶどう畑は甘いぶどう酒をしたたらせるようになる時が来る。」と訳しています。

罪の中で死んでいて、神様の怒りと裁きに向かっていたはずの僕らです。「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ2.4-6)


僕らはいつも、「自分がどういう者だったのか」を思い出す必要があります。恥ずかしい罪人です。クリスチャンになって変えられつつありますが、マシになったのは主の憐れみと恵みです。威張ることも他人のことをあっちが悪い、こっちが悪いと裁くことはできません。もっと大きな梁が僕らにあります。(マタイ7.4)神様は「わたしはこれを地の面から根絶やしにする」(8)と言われました。僕らは死刑宣告を受けた身です。そしてその通りに裁かれたのはイエス様です。僕らが救われるのはイエス様の憐れみ、イエス様の犠牲、愛、恵みによることです。


アモスは神様の裁きを預言しています。同時にイエス様による召しと回復が全ての民族に与えられていることを伝えていいます。その回復は信じられないほど、凄すぎる回復、圧倒的な栄光、恵みです。希望はただイエス様だけです。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4.12)イエス様だけです。イエス様を求めましょう。ハレルヤ!


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