出エジプト29.1-18
旧約聖書に書かれている祭司の規定は、新約聖書に書かれたイエス様のことを僕たちに教えてくれています。イエス様こそ僕らの大祭司です。イエス様が来られる1500年も前にまずアロンが大祭司として任命されました。これはやがて来られるイエス様のことをあらかじめ教えてくださるためです。
それだけでなく、イエス様を信じた僕ら自身もこの世における祭司としての役目が与えられています。
大祭司アロンは定められた大祭司の服を着て、肩当てやエポでを身につけて、頭には『主の聖なるもの』(28.36)と書かれた記章がつけられました。これらの装束はイエス様がいつも僕らの名前が神様の前に覚えられるように代表として祈ってくださることを表しています。(28.29-30)
(4節から6節)
4,アロンとその子らを会見の天幕の入り口に近づかせ、水で彼らを洗う。
5,装束を取り、長服と、エポデの下に着る青服と、エポデと胸当てをアロンに着せ、エポデのあや織りの帯を締める。
6,彼の頭にかぶり物をかぶらせ、そのかぶり物の上に聖なる記章を付ける。
また、大祭司アロンの頭には注ぎの油が注がれました。
(7節)
注ぎの油を取って彼の頭に注ぎ、彼に油注ぎをする。
特別な油が注がれることは、神様に選ばれた特別な役目に任命されていること表しています。また、この油は神様から御霊のしるしでもあります。僕らにとってはイエス様こそ大祭司として油を注がれ、無限の御霊を与えられた人として人々のために祈り、教えてくださる方です。神が遣わしたイエス様は、神のことばそのものを語られます。神が御霊を限りなくお与えになるからです。(ヨハネ3.34)新約聖書は次のように説明しています。
(使徒の働き10章38節)
それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒やされました。それは神がイエスとともにおられたからです。
(ルカの福音書 4章18節)
「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、
大祭司アロンだけでなく、その子どもたちも祭司として任命されました。これはイエス様につながる僕らも祭司としての役目が与えられていることを表しています。
(8節から9節)
8,それから彼の子らを連れて来て、彼らに長服を着せる。
9,アロンとその子らに飾り帯を締め、ターバンを巻く。永遠の掟によって、祭司の職は彼らのものとなる。あなたはアロンとその子らを祭司職に任命せよ。
僕らもイエス様につながる祭司として油注がれ任命されています。同じように神様の霊が注がれ神様のことがわかるようにされ、周りの人たちの代表として神様の前に出て名前を挙げて祈る役目が与えられています。
(ヨハネの手紙 第一 2章27節)
しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。
アロンもその子どもたちも普通の人間でした。罪があり欠点がある者として、その罪が赦されきよめられる必要がありました。そのために、牛の上に手を置いて罪を告白し、身代わりに牛が殺される必要がありました。
(10節から14節)
10,あなたは雄牛を会見の天幕の前に近づかせ、アロンとその子らはその雄牛の頭に手を置く。
11,あなたは会見の天幕の入り口で、主の前で、その雄牛を屠り、
12,その雄牛の血を取り、あなたの指でこれを祭壇の四隅の角に塗る。その血はみな祭壇の土台に注ぐ。
13,その内臓をおおうすべての脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓とその上の脂肪を取り出し、これらを祭壇の上で焼いて煙にする。
14,その雄牛の肉と皮と汚物は宿営の外で火で焼く。これは罪のきよめのささげ物である。
同じように、罪がある僕らも赦しときよめが必要です。動物の血によってではなく、イエス様はご自身をいけにえとしてささげてくださることで僕らを完全に赦しきよめてくださっています。
(ヘブル人への手紙 7章24~27節)
イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。
したがって、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。いつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。
(ヘブル人への手紙 9章11~12節)
しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、
また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。
旧約聖書に書かれている祭司の規定は、新約聖書に書かれたイエス様のことを僕たちに教えてくれています。イエス様こそ僕らの大祭司です。今日も僕らは赦され、祈られています。僕らも祈りましょう。周りの人たちのことを祈り、赦し、祝福し、伝えましょう。イエス様が僕らにも御霊の油を注いでくださっています。ハレルヤ!
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