1サムエル5章
妻(夫)の浮気を激しく怒るのは正しいことです。同じように、人間が偶像を作り、慕い、愛することを神様は正しく怒り妬み攻撃します。聖書は「あなたは、ほかの神を拝んではならない。主は、その名がねたみであり、ねたみの神であるから。」と言います。(出エジプト記 34章14節)
和を重んじる僕ら日本人は「どの宗教も仲良くしましょう」と言いがちです。…が、人が作った宗教や偶像と、人を作った神様は全然違います。違いすぎます。人間が作った偶像には力はありません。力があるように見えてもそれは演出です。実は人がお世話しなければなりません。「口があっても語れず目があっても見えない。耳があっても聞こえず鼻があっても嗅げない。手があってもさわれず足があっても歩けない。喉があっても声をたてることができない。」(詩篇115篇5~7節)反対に神様は生きておられ、命を与え、力を与え、全てを与えることができる方です。
ペリシテ人は神様をまるで偶像のように扱いました。ところが神様は生きておられる方です。それとは反対に、彼らの偶像ダゴンは歩くことも声を上げることもありません。神様はダゴンを倒し、頭と両手を切り離しました。倒されても自分で起き上がれない人形に過ぎないことは明らかになりました。
(1節から4節)
1,ペリシテ人は神の箱を奪って、エベン・エゼルからアシュドデまで運んで来た。
2,それからペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運んで来て、ダゴンの傍らに置いた。
3,アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、なんと、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻した。
4,次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。
栄光と賛美は、本来この神様だけが受けるべきものです。僕らが慕い求めるべきはこの方です。浮気をやめて、悔い改めて、この神様に栄光、礼拝を、賛美をお返しするように人類全員がどの民族も宗教の人も招かれています。
(歴代誌 第一 16章28節)
もろもろの民の諸族よ、主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。
(詩篇 96篇5~7節)
まことにどの民の神々もみな偽りだ。しかし主は天をお造りになった。威厳と威光は御前にあり力と輝きは主の聖所にある。もろもろの民の諸族よ主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。
やがて、神様は世界を裁きます。その時に偶像と一緒に滅ぼされることがないようにと今日も神様は呼びかけてくださっています。
(ヨハネの黙示録 14章7節)
「神を恐れよ。神に栄光を帰せよ。神のさばきの時が来たからだ。天と地と海と水の源を創造した方を礼拝せよ。」
偶像を愛し慕うなら一緒に滅んでしまう日が来ます。サムエル記に書かれたことは、黙示録にも書かれています。将来僕らにも起こることです。
(6節)
主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人たちを腫物で打って脅かした。
(9節)
それがガテに移された後、主の手はこの町に下り、非常に大きな恐慌を引き起こし、この町の人々を上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。
(12節)
死ななかった者は腫物で打たれ、助けを求める町の叫び声は天にまで上った。
腫物による苦しみはこの世の終わりにも同じことが起こります。聖書は警告しています。
(ヨハネの黙示録 16章2節)
第一の御使いが出て行き、鉢の中身を地に注いだ。すると、獣の刻印を受けている者たちと獣の像を拝む者たちに、ひどい悪性の腫れものができた。
僕らの中に、裁きを招くような密かに愛する偶像はあるでしょうか。栄光と賛美をささげているものはあるでしょうか。
「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。」(黙示録4.11)「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒4.12)今日、偶像を捨てて神様だけになる日とされますように。ハレルヤ!
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