2サムエル10章
人を愛し助けることは神様に喜ばれます。そして豊かな報いがあります。しかもその祝福は次の世代まで及びます。イエス様は「わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」と言われました。(マタイ10.42)そのように、ヨナタンはダビデを愛し助け、それゆえにその息子メフィボシェテは祝福され、愛され、王の家族のようになりました。(2サムエル9章)
ところが、次世代につながる祝福を拒否することもできます。受けとるか拒否するかは自分で判断する必要があります。
ハヌンの父、ナハシュ王はかつてダビデに親切にしてくれました。聖書に書いてませんが、ダビデが逃亡生活をしていた時に助けてくれたようです。ダビデはその恩を忘れず、ナハシュ王の死後、息子ハヌンに哀悼の意を伝え、祝福しようとしました。
(1-2節)
1,この後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。
2,ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と言った。そして家来たちを通して彼の父の悔やみを言うために、ダビデは彼らを遣わした。
ところがハヌンの側近たちはダビデを疑い、策略だと決めつけ、拒否し、ハヌンにそれを進言します。ハヌンは彼らの意見に聞き従い、一緒になってダビデを憎み、使者たちにひどい侮辱を与えました。
(2-4節)
ダビデの家来たちがアンモン人の地に着いたとき、
3,アンモン人の首長たちは、主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとにお悔やみの使者を遣わしたからといって、彼が父君を敬っているとお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来を遣わしたのではないでしょうか。」
4,そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、ひげを半分剃り落とし、衣を半分に切って尻のあたりまでにして送り返した。
ダビデが父ナハシュを敬わず、この町を覆そうとしている、というのはウソだし誤解です。嘘や誤解や疑いは人との関係を壊します。ひげを剃り落とし服を切って下半身が見えるようにすることは最大の侮辱です。その誤解と侮辱はアンモン人とイスラエルとの戦争を引き起こしました。疑念や不信は愛の関係を壊し祝福を失わせていきます。疑いによって関係が壊れていくのは悪魔の願いであり喜びです。
創世記三章では、エデンの園で悪魔であるヘビがエバに神の言葉を疑わせる場面が描かれています。結果として、人間の罪と堕落が始まりました。悪魔は今も僕らの心に疑いや不信を植え付け、人が争い憎み合うようにして世界を壊そうとしています。
悪魔は十二使徒の一人ユダに入り、イエス様を疑わせました。結果彼はイエスを裏切り、銀三十枚でイエス様を指導者たちに売り渡しました。悪魔がユダに働きかけ、イエス様に対する信頼を失わせた結果です。
出エジプト記では、神様はイスラエルを愛してエジプトから脱出させますが、ある人々が神様とモーセを疑わせるような情報を流し、その結果民全体が神様とモーセを疑いはじめます。その世代のイスラエルのほとんどの人は約束の地に入ることができませんでした。疑いは信頼を壊し、祝福を失わせます。
僕らは周りの人たちの助言を見分ける必要があります。そのアドバイスが真実なのか、ウソなのか、次のことによって見分けることができます。
1. 祈りと神様のみことばによって
僕らはまず、「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒5.29)神に知恵を求めるなら、必ず与えられます。
「知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」と聖書は言います。(ヤコブ1.5)神様は求める人には聖書のことばを通して正しい判断力を与えてくださいます。
2. 相手の行いを見ることによって
イエス様は「あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。」とおっしゃいます。(マタイ7.16)
つまり、その人の行いを長期的に観察すると、その行動が愛と誠実さに基づいているか、一貫しているかがわかります。『主よ、主よ』と言うだけの人ではなく、神様のみこころを行う者は真実です。(マタイ7.21)
3. 御霊の基準によって
御霊が与えてくださる愛は次のような性質があります。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」(1コリント13.4-7)
神様からのものはこれらの特徴があります。逆に、自己中心的だったり、隠れた動機があるように見える場合は、注意が必要です。
4. 相談の中で
聖書は「知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い」と言います。相談の基本は、「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むように」することです。(コロサイ3.16)
教会の仲間や指導者と相談することは一緒にキリストのことばを求めることで用いられます。「教会は、真理の柱また土台です。」(1テモテ3.15)一人ではわからなかった神様の真理が、互いに祈り一緒にみことばを求めることで与えられます。
いろんな人がいろんな意見を言います。最終的には神の導きを求めて判断を下していくことになります。愛することと識別力はセットです。祝福か呪いか、神様は必ず見分ける力を与えてくださいます。今日も求めましょう。悪魔の策略に対抗しましょう。大丈夫です!
(ピリピ1.9-10)
9,私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
10,あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。
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