2024年8月7日水曜日

2サムエル9章

 2サムエル9章


隠れるように生活していた足の不自由なメフィボシェテという人がいました。サウル王の孫なので、ダビデの敵の子として処刑される可能性もある立場でした。彼はダビデを恐れてひっそりと生活していたようです。ところがダビデは彼を探し出します。彼はダビデに愛され、王の息子として家族になり、王の富や恵みを受け継ぐ立場になりました。「メフィボシェテは王の息子たちの一人のように、王の食卓で食事をすることになった。」(11)とあります。こんなに良くしてもらえる理由は彼にはありません。理由はただ、彼の父ヨナタンが命をかけてダビデを愛してくれたからです。


同じように、僕らも愛される身分ではありませんでした。神様から見捨てられ裁かれてもおかしくない立場でした。だのに、神様が僕らを探し出し、愛し、子どもにしてくださり、王の家族として食卓に参加するようにしてくださいました。こんなに愛される理由は僕らにはありません。理由はただ、イエス様が僕らを命をかけて愛してくださったからです。



(1-8節)

1,ダビデは言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。」

2,サウルの家にツィバという名のしもべがいて、ダビデのところに呼び出された。王は彼に言った。「あなたがツィバか。」彼は言った。「はい、あなた様のしもべです。」

3,王は言った。「サウルの家の者で、まだ、だれかいないか。私はその人に神の恵みを施そう。」ツィバは王に言った。「まだ、ヨナタンの息子で足の不自由な方がおられます。」

4,王は彼に言った。「その人は、どこにいるのか。」ツィバは王に言った。「お聞きください。ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家におられます。」

5,ダビデ王は人を送って、ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家から彼を連れて来させた。

6,サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「メフィボシェテか。」彼は言った。「はい、あなた様のしもべです。」

7,ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの祖父サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。」

8,彼は礼をして言った。「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは。」



彼のお父さんヨナタンはまるで自分のようにダビデを愛した人です。ダビデが殺されそうになった時は同じように槍で刺されそうになりました。(1サムエル20.32-33節)同じように、イエス様はまるで自分のように僕ら罪人を愛し、僕らの側になって呪われ殺されました。イエス様は神様に祝福されています。そして、信じた僕らも愛され祝福されます。理由はイエス様が命をかけて愛してくださったゆえです。


聖書は、父が神様に祝福されると次の世代も祝福されると言います。例えば、出エジプト20.6には「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す」とあり、箴言20.7には「正しい人は誠実に歩む。彼の子孫はなんと幸いなことか。」とあります。親が神様を愛し従うことは子に恵みと幸せをもたらします。ダビデは、ヨナタンが良くしてくれたことを喜び、その子メフィボシェテさえも祝福しました。これは、神様の祝福がその世代だけで終わらずに次世代に流れていく例です。

メフィボシェテには祝福の理由がありません。ただ、お父さんヨナタンへの祝福は彼にも受け継がれていきます。


僕らも同じです。愛される理由はありません。でも、イエス様が神様に従い、命をかけて罪人である僕らを取り戻してくださいました。僕らは神様の子どもとされました。「私たちは彼(イエス様)にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。」(エペソ1.11)イエス様のおかげです。神様はそれゆえに「消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。」(1ペテロ1.4)


今度は僕らの番です。子どもたちを、次の世代を愛しましょう。その理由は、彼らが良いからではありません。彼らの父であり神である方が僕らを命をかけて愛してくださったからです。イエス様への感謝を次世代の子どもたちを愛し祝福することで表しましょう。「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(1ペテロ)ハレルヤ!




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