2サムエル 21.1-14 回復のための犠牲は終わっています
皆さんは、親のせいで自分が不幸になっていることがありますか?神様は、親が犯した罪の報いを子供にもたらすでしょうか。答えは、「はい」です。先週、皆さんにも祈ってもらった孤児院サラハウスを支える会の一般社団法人バラカが登記ができました。皆さんの協力を感謝します。
現地にいる足立ゆかさんが日本からの献金を物資に変えて届けてくれます。が、そこで保護される子どもたちの過去は悲惨です。小さい時からずっと性的に利用されレイプされ今妊娠して保護されている10代の子どもたち、路上に放置されていて保護された赤ちゃん、親に手を焼かれて、指が全部くっついてしまった女の子。目を背けたくなるような子たちが集まっています。
人間はここまで残酷になれるんだ、と思います。誰も見てなかったら、止める人がいなければ人間の本性は子どもたちを自分の肉欲のために平気で利用して半殺しにしています。サラハウスの報告を聞くたびに人間の本性を見せつけられる気がします。
罪は次の世代に悪影響を与え、苦しめます。聖書によると、罪を犯すとその土地は呪われる、その土地の祝福は止められると言います。神様から作られた最初の人間の時代からそうでした。罪は次の世代に受け継がれ、苦しめます。そして、あらゆることが苦しみに変わると聖書は言います。
(ローマ5.12)
ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──
最初に作られた人の名前はアダムです。奥さんはエバです。二人は神様に似た、素晴らしい人たちでしただのに神様に背きました。その結果人と人が争うようになり、土地は呪われ、労働は苦しみとなり、そして、結婚も出産も苦しみに、人は死ぬものとなりました。神様を裏切った罪の報いや呪いは私たちに受け継がれています。全ての人が年老いて死んでいきます。死ぬことは神様の願いではありません。罪の結果です。アダムとエバの子どもの代にはもう殺し合っています。兄カインは弟アベルを殺しました。
親が神様から離れて罪を犯すと、次の世代にその悪影響は引き継がれます。誰かが止めない限りはそれはずっと引き継がれて行きます。そして今の僕らの世代もその罪を引き継ぎ、同じように憎みあい、殺し合っています。身の回りでもよく聞きます。親の暴力で育った子が同じように子供に暴力的だったり、何かの依存症で育った子供が同じように依存症になってしまうことがあります。
ここまで聞いて「私はあの家の子どもだから同じことをしてしまう」と思ってガッカリした方、大丈夫です。それを止めてくださる方がいます。イエスキリストです。一人の罪がどんどん下の世代を汚していくローマ5章には続きがあります。
(ローマ5.15)
神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです。
イエス様の恵みによる賜物とは神様の子どもに変えられること、罪が赦され、新しい人に変えられること、永遠に祝福されることなどなど数え上げたらキリがありません。罪が広がり汚染した以上に、イエス様によるきよめや祝福は広がっていきます。
(ヨハネ1.12)
この方(イエスキリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
皆さんの親は神様になりました。罪の影響を与える親でなく、祝福を与える神様がお父さんになりました。
(ローマ8.14)
神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
今日の箇所は自分の親が罪を犯したせいで、下の世代に不幸が起こる実例です。でも今日のメッセージで伝えたいことは「回復」です。
少し前「親ガチャ失敗」という言葉が流行りました。どんな親にあたるかわからないし、ひどい親に当たったせいで自分の人生はこんなに不幸なのだ、と人は言います。でも、イエス様を信じた人は全てが逆転します。新しくなり神様の子どもになりました。その人の人生は新しくなると聖書は言います。僕らの親は神様になりました。僕らは神様の子どもです。
(2コリント5章16-17)
ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
肉に従って「あの親の子供だから」と人のことを評価することは終わりました。イエス様を信じた人は全てが新しくなります。
最近流行りのことばで「実家太い」という言葉を知りました。実家がお金持ちという意味だそうですが、イエス様を知った人の実家は太いです。親は神様で、実家は天国です。しかも、お父さんは力と知富と知恵と勢いと誉と栄光と賛美に満ちています。
同時に、僕らが神様に赦され、きよめられ、新しくなるには大変な犠牲が捧げられています。
罪を消すためには犠牲の血が流されなければならない、と聖書が言います。
僕らが神様の子どもとなり、過去は過ぎ去り新しくなるために捧げられた犠牲の命とは、イエス様の十字架の死です。今日の箇所は罪の赦しと回復のための犠牲を表しています。
●祝福が飢饉に変わる原因
ダビデはエルサレムで王としてイスラエルを支配しました。そしてこのイスラエルの土地は、「乳と蜜の流れる地」と言って豊かに祝福が約束された土地です。そこに飢饉は無いはずなんです。本当は。
(申命記28章3-8節)
3,あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
4,あなたの胎の実も大地の実りも、家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
5,あなたのかごも、こね鉢も祝福される。(…中略…)
8,主はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざが祝福されるように命じられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。
(11-12節)
11,主があなたに与えるとあなたの父祖たちに誓われたその地で、主はあなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに恵んでくださる。
12,主はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。
だから、この国で飢饉が起こるのは何かがおかしいのです。ところが、飢饉が起きました。しかも、3年連続です。
(1節)
ダビデの時代に、三年間引き続いて飢饉が起こった。それで、ダビデは主の御顔を求めた。主は言われた。「サウルとその一族に、血の責任がある。彼がギブオン人たちを殺戮したからだ。」
ダビデは神様に聞きました。答えは明らかでした。サウルの時代、サウルというのはダビデの前の王様です。彼がギブオン人を虐殺したことが原因だと言われます。
罪はその土地の祝福を破壊します。サウルがギブオン人らをも次々と殺戮したようです。ダビデは被害にあったギブオン人たちに確認します。そうすると、彼ら自身もその苦しみを証言しています。
(5-6節)
彼らは王に言った。「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを根絶やしにしてイスラエルの領土のどこにも、いさせないように企んだ者、
その者の息子の七人を私たちに引き渡してください。
お父さん世代、前の世代が彼らを苦しめ殺しました。そして被害にあったギブオンの人たちがそう証言しています。そして、その殺人はその土地を汚し、土地は産物を生産しなくなる、という呪いを産みます。
殺された人たちは土地の中から叫んでいると聖書は言います。その実例が一番最初の殺人事件のところに書かれています。カインという人が弟アベルを殺しました。その時神様はこう仰せられました。
(創世記4:10~12)
「あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。」
アベルの血の語ることとは、自分を殺した兄を断罪する、さばきを要求する叫びでした。殺された人の血は地面の中から叫び、その結果その土地は収穫をもたらさないものとされます。罪はその土地を全体を汚し、次の世代にまで不幸をもたらします。
これが僕らが目を背けてはいけない現実です。日本という国土でも行われてきたことです。
罪の報酬は呪いであり死であり、僕らにも僕らの次の世代にも不幸をもたらすことを聖書は伝えています。
●呪いを終わらせる方法
お金で解決ではなく、仕返しするのでもなく、神様の前では神様の律法に従って、罪がきよめられるために、その本人か、その子どもたちを神様のために、赦しときよめのために殺す必要がある、と言います。これは旧約聖書の律法に書かれた原則です。彼らは律法に従った方法を提案します。
(4節、6節)
4,ギブオン人たちは彼に言った。「私たちと、サウルおよびその一族との間の問題は、銀や金のことではありません。また、私たちがイスラエルのうちで人を殺すことでもありません。」ダビデは言った。「私があなたがたに何をしたらよいと思うのか。」
6,その者の息子の七人を私たちに引き渡してください。私たちは主が選ばれたサウルのギブアで、主のために彼らをさらし者にします。」
これが以前から言われていた神様の教えに沿った方法です。
(民数記 35章31~33節)
あなたがたは、殺人者のいのちのために償い金を受け取ってはならない。彼は死ぬべき悪しき者なのである。彼は必ず殺されなければならない。(…中略…)あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地にとって、そこで流された血は、その血を流した者の血以外によって宥められることはない。
その血を流した者の血によって宥められる、と神様がおっしゃいます。すでに虐殺した本人サウルは死んでいます。それで、今生き残っているサウルの子どもたち7人を彼らをギブオン人に引き渡すことになりました。彼らは「主のために」(6)です。その呪いを宥めるために、殺して晒します。残酷だと言われるでしょうが、これが罪に対する神様の宥め、きよめ、回復の方法です。新約聖書も旧約聖書も一貫しています。
(ヘブル9.22)
血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ダビデはそれに従って、サウルの子7人を引き渡し、神様の前で殺し晒しものにしました。仕返しではなく「主の前に」(9)「主のために」です。
(8-9)
8,王は、アヤの娘リツパがサウルに産んだ二人の息子アルモニとメフィボシェテ、それに、サウルの娘メラブがメホラ人バルジライの息子アデリエルに産んだ五人の息子を取って、
9,彼らをギブオン人の手に渡した。彼らは、この者たちを山の上で主の前に、さらし者にした。これら七人は一緒に倒れた。彼らは、刈り入れ時の初め、大麦の刈り入れの始まったころ殺された。
●リツパの悲しみ、神様の悲しみ
お母さんリツパは愛する2人の息子を差し出しました。神の怒りをなだめるために差し出した息子の死は、彼女にとってどれほど悲しく辛いことだったでしょう。
(10-11)
10,アヤの娘リツパは、粗布を手に取って、それを岩の上に敷いて座り、刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないようにした。
11,サウルの側女アヤの娘リツパのしたことはダビデに知らされた。
荒布を敷いて、ずっと遺体のそばにいて、猛禽が死体を食べに近づくと、彼女は棒を持って追い払います。夜になると獣が死体を食べにきます。木に吊るされている息子にジャンプして噛みつこうとします。お母さんリツパはなんか月も追い払い続けました。悲しくて悲しくてとても家に帰る気になれませんでした。
罪の宥めのために、息子の命を差し出したのがこの母親です。自分が死ぬ方がまだマシだったかもしれません。
僕の弟が39歳で交通事故で死んだ時、当時生きていた父が言っていました。人生で一番悲しかったのは息子が死んだこと。代わってやりたかった。
僕の友人の弟が20代で胃がんで亡くなりました。そのお母さんも同じこと言ってました。代わってやりたかった。子供が先に死ぬのは親にとっては一番辛いことです。
それは私たちの神も同じです。ここに神の痛み、悲しみが表されています。
木に吊るされて、罪のきよめのために殺されている子どもたちは、イエス様が十字架の上で殺されて、この地上が癒されきよめられるための犠牲になっていることを表しています。
土地がきよめられるために、罪が赦されるためには血が流されるように教える律法の通りです。
土地が汚されるためには、殺人者の血を流されなければならない、という律法の奥義はイエス様を表しています。主イエス・キリストが十字架の上で殺され、晒されたことは律法を実現します。イエス様は律法を廃棄する為にではなく、律法を完全に成し遂げ、成就する為に来られました。(マタイ5:17)
イエス様は神であり神の子です。神の子が天から地上に来てくださいました。何しに来たと思いますか?
殺されて、さらされて、この世界をきよめるためです。
世界に起こっている大きな呪いが消し去られ、ゆるされ、いやされるために来られました。
それには血を流す必要がある、と神様の律法が要求します。それを実現するためにきたのです。
お母さんリツパは悲しくて悲しくて、ずっとそばにいました。同じように神様にとってイエス様が殺されることは辛く悲しいことでした。リツパの悲しみは神様の悲しみです。
神様にとってイエス様を差し出し、殺すことは大きすぎる悲しみです
このエピソードは預言的です。イエス・キリストの十字架の救いを預言しています。そして神様にとっての犠牲です。その悲しみと痛みは大きすぎます。
ダビデはリツパに対して敬意を示し、サウル王やヨナタンと同じ墓に丁寧に葬りました。納骨は故人に対する敬意を表します
神様はこの犠牲と祈りに答えてくださり、この土地を癒してくださいました。リツパが祈りながら息子を捧げ、国中が癒しを求めて祈ったその祈りに神様が心を動かし、もう一度その土地を祝福してくださいます。
(14)その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。
●(適用)私たちも癒され回復します。
救われるための第一ステップは自分の罪深さを知ることです。
親から受け継いでいる自分の罪深さを知る事は悲しいけど、回復のためには必要です。そこから目を背けないで、神様の光のもとに照らされ認める必要があります。
僕らはサウルみたいに虐殺してないかもしれません。サラハウスに来る子どもたちの親や加害者のように子どもたちを食い物にしたりしてないかもしれません。でも、神様の前では同じ罪人だと言います。
殺人の規定について、イエス様は新しい基準を解き明かされました。
(マタイ5:22)
「しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」
イエス様は兄弟姉妹を馬鹿にして、見下しているなら皆殺人者だと言います。神様にとって大事な人を殺している人は燃えるゲヘナ、つまり地獄行きだとおっしゃいます。
皆さんの部屋、家庭、職場で秘密の会話をしている時に隠しマイクがあって、それを全部神様につながっていたら、僕らは神様のまでは有罪確定です。裏アカウントでつぶやいたことが全部神様に読まれていたら、有罪確定です。罪の結果は呪いです。しかも、永遠の苦しみです。
親のせいだというけど、自分もちゃんとその罪を受け継いでいます。被害者だというけど、本性は同じです。その血は土地を汚し、土地は産物を実らせなくなる呪いがありました。
イエス様の基準で私たちが照らされるならば、実際に手を下さずとも心の中で人をのろったり、悪意を抱いたりすることは、殺人と等しいということになります。
私たちの心の中に人を傷つけ殺す血が流されると、そこに呪いがもたらされてしまうのです。
救われるための第一ステップは自分の罪深さを知り認めることです。
イエス様はおっしゃいます。心貧しいものは幸いです。自分の惨めさ、悲しみを知っている人は幸いだとおっしゃいます。救われるからです。自分は傲慢で、人を傷つけるものだ、と自覚する人は幸いです。その人に赦しがあり、癒しがあるからです。
イエス様が殺され、晒され、呪われてくださいました。僕らではありません。親でもありません。イエス様が晒し者とされました。
父なる神様は悲しんでイエス様を差し出し、罪のきよめのために、僕らが、この国がきよめられ、もう一度祝福された土地となるために差し出してくださいました。
親の世代からの罪の影響は必ずあります。でも、イエス様が殺され、罪のきよめがなされました。もう親からの罪の連鎖は断ち切ることができます。
(ローマ5.12)
ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──
(ローマ5.15)
神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです。
親から受け継いだ罪の影響から脱出できます。イエス様によって宥められ、きよめられます。その呪いはイエス様が引き受けてくださいました。
まずは親の罪も自分の罪も認めてイエス様に告白し、謝りましょう。イエス様を信じる人は全部新しく変えられます。全てがきよめられ新しくされます。
神様の目には完全無罪です。新しい人です。同時に、一瞬で性格が全部変わるのではありません。
新しく生まれた赤ちゃんが少しずつ成長するように、神様のこどもとなった僕らは時間をかけて、イエス様に似た人に変えられて行きます。
もう犠牲のための命は捧げられました。
神様が大きな犠牲を払ってくれました。僕らは新しく変えられます。自分の努力でなく、イエス様の犠牲の十字架によって、神様が息子イエス様を差し出した犠牲によってです。
皆さんは、親のせいで自分が不幸になっていることがありますか?と最初に聞きました。
イエス様を信じた僕らはもう罪人の息子ではありません。犯罪者の子ではありません。その過去は終わり、新しくなりました。皆さんは神様の子です。世界中のクリスチャンは、神様のことをお父さん、って呼びます。僕らは新しいお父さん、神様の性格に似てきます。必ず変えられます。
僕らの悲しみは喜びに変えられます。親がどうであっても脱出できます。過去がどうであっても新しく変えられます。犠牲はもう捧げられ終わってます。イエス様が捧げられ、僕らは癒されました。変えられ続けるのがクリスチャンです。イエス様を信じる人は誰でも無罪です。新しく変えられた人です。これからも新しくなり続けます。その道は祝福への道です。ハレルヤ!
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考えてみましょう。
1 自分が受け継ぎ、自分も同じことをしてしまう罪の性質をあげてみましょう。
2 その連鎖を断ち切るために神様がしてくださったことは何でしょう。その大きさを考えてみましょう。
3 神様の子どもとして変えられ続けるために自分が日々すべきことを考えてみましょう。
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