イザヤ11章
僕らが人を攻撃する理由は、不安だから、不満だから、安全ではないからです。恐れのない人は人を攻撃する必要がありません。平和な人は神様から人からも愛され、認められ、受け入れられている人です。その人には感謝があり喜があります。
(1ヨハネ4.18)
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。
今日の箇所は将来の預言です。10章まで壊れていく世界と神様の裁きの預言が続きます。が、この11章と12章だけ、将来、イエス様が世界の王となった時の喜びを見せてくださっています。
(12.1)
その日、あなたは言う。「主よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです。」
やがて、「主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちる」日が来ます。(9)その日には、なんと動物たち同士でさえ外敵を警戒する必要がなくなり平和が来ます。主がもう一度来られたときの世界は完璧です。
(イザヤ書 11章6~9節)
狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。
乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。
神様と一緒にいて愛されているので、その日には互いに攻撃することも妬みも必要なくなります。
(イザヤ書 11章13節)
エフライムのねたみは去り、ユダに敵する者は断ち切られる。エフライムはユダをねたまず、ユダもエフライムを敵としない。
この神の世界が僕らの中にもう始まっています。それは神様に愛されていることを認め、神様に喜んで聞き従う世界です。イエス様は「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」とおっしゃいます。(マルコ1.15)不安だから戦うのでなく、神様によって満たされる方向に変えなさい、と言うことです。その時に妬みは消え去ります。
イエス様はもう一度この地上に来られます。世界はイエス様の王国となります。戦争はなくなり、人々はイエス様の知恵と力を求めてやってきます。
(イザヤ書 11章10節)
その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。
世界中の人たちがイエス様のみことばを求めてやって来る様子はイザヤ2章にも書かれています。
(イザヤ書 2章2~3節)
終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。
今までは自分たちの判断、自分たちの善悪の知識で争っていました。でもやがて神様を知ることが世界を満たします。もう国が争う必要がありません。このように、この世界がますます壊れて暗くなったとしても、その先に希望と回復があります。それをすでに体験し始めているのがクリスチャンです。
妬みは消え去り、国は争わない世界が来ます。全ての国はイエス様の知恵の言葉を求めるようになります。
「主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちる」(9)その日が来るのを希望を持って待ちしましょう。僕らが思う以上の完全な平和と喜びは約束されています。大丈夫です。ハレルヤ!
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