2024年9月24日火曜日

恋愛結婚合宿メッセージ 2024.9.22 北海道KGK卒業生会にて

 恋愛結婚合宿メッセージ 2024.9.22 北海道KGK卒業生会にて


●イントロ うまくいっていない人は幸いです。


恋愛も結婚もみんな上手くなってからやる人はいません。妊娠して出産して育てるの、誰もが初めてです。へたくそで当たり前です。どうやって恋愛から結婚に導かれるのかわからない。それが普通なので安心して下さい。


まずは自分には何もできないと認めることです。

自分のプライドとか思い込みとか捨てて、神様に聞くのが大事です。

「私何にもできませんから助けてください。」「与えてください。教えてください」と求める人は幸いです。そういう人はほんとに祝福されます。イエス様は「心貧しい人は幸いです。」と言われます。


僕も妻も何にもわかんないまま結婚して、失敗を繰り返して今があります。この講師の話を受けた時、「え、俺なんか教えられることなんってあるの?」と思いました。30年以上結婚して生活してるけど今も練習中です。それでも僕は成長したいとは思っています。20代の時より今の方がもっと神様を愛したいし、妻を愛したい気持ちではいます。


皆さんが恋愛ヘタ、結婚へたくそって思ってくださるとそれでオッケーだと思います。「俺できるぜ」と思う人ちょっとどうかなと思います。


大谷選手の素晴らしいところは自分の課題点をいつも言葉にして記録していることです。

そして目標を立てて自分を改善する計画を立てていることです。高校の時からずっと続けて今があるそうです。「俺うまいんだぜ」って思っていたら、大谷選手はないと思います。


自分の欠点、自分の弱さを認める人は幸いです。心の貧しい人は幸いです。義に飢え渇く人は幸いです。

そして、ただ、心が貧しいとか、悲しいだけで終わらずに、神様に求め、頼る人は必ず与えられます。


ルカ6章

20 貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。

21,今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。


牧師としても僕はしくじり先生です。

未信者の彼女(彼氏)と付き合って、神様から離れてしまったカップルが僕の牧会の中だけでも3組はいます。その時の牧師としての対応のしくじり、愛と祈りのなさはあったと思ます。逆に未信者の彼女(彼氏)と一緒に神様の前に来て、僕も一緒に応援して、教えて、一緒に悔い改めて今も神様を愛し祝福されているカップルもいます。みなさんと一緒にしくじりながらも今いるところから回復していきたいと思います。

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1 結婚や恋愛の障害になるものは罪です


①罪の結果のおさらい


神様は初めから何も隠し事なく、全てを受け入れ合い愛しあうものとして人間を作られました。

でも罪を犯して、自分が神のようになると思い込んだ時からどうなったか?人は自分を隠すようになって自分をよく見せるようになりました。なんでも他人のせいにするようになりました。善悪の木の実を食べたのは、この女がくれたからです。そもそも、あなたが作ったこの女がくれたのが悪い。私は悪くない、私は正しいって感じです。(創世記3章)人のせいにして、神様のせいにします。罪とは神様から離れることです。神様から離れると、自分は正しい、自分はよくやっている、と頑張るしかなくなります。


今は罪がある同士が恋愛をし、罪ある者同士が結婚します。これは大変です。すごい祝福の面と凄い戦いや苦しみの面と両方あります。


でも、クリスチャンはイエス様によって罪が赦され、新しくなりました。神様は僕らのことを完全無罪と言ってくださいます。イエス様の血によってきよくされました。これは大事です。どんなに変な人でも神様の目には無罪です。イエス様の十字架によるきよめと赦しは完璧です。

同時に、今、きよめらている途中、神様によって満たされている途中でもあります。赦されているけど、まだ罪(神様から離れている状態)もあるせいで、歪んだ恋愛や歪んだ結婚で苦しんでいます。


②罪による欠乏感


本当は神様と一緒、一体、繋がっているように作られているので、神様から離れた人は心に何かが足りない、という空洞というか、欠乏感を持っています。また、それを何かで埋めようとも思っているのが人間です。ある人は食べるもの、摂取するもので埋めようとし、ある人は人によって愛されることで埋めようとし、ある人は行いとか業績で埋めようとします。みんな欠乏感、承認欲求を持っています。酒でごまかす、甘いもの食べ過ぎる、薬物に依存するなど、みんな欠乏感を神様以外で満たそうとするところが、クリスチャンになってもあるし、今は変えられている途中です。工事中です。性欲を満たすために結婚とは別に性的な交わりをするなら、それは一時的で本当に虚しく、満たされる事はありません。


中高生女子だったらかわいいと言われたい、モテる服を着たいなど。神様から離れているなら、神様以外で満足し欠乏感を満たそうとします。今僕らは神様に戻り、神様から愛され、神様で満たされている途中です。


僕の場合はずっと何か業績や結果を出すことで認められたいと思いました。それで音楽を頑張り続けました。そういうクセを持ったまま牧師なってしまったので、今も頑張りすぎる面があります。


恋愛や結婚も神様の聖なるもの、神様から与えられた良いものにもなるし、自分の欠乏感とか承認欲求を埋めるための道具として利用するものにもなります。

性的な交わりも、神様への感謝、相手への感謝。そして聖霊の愛の交わりにもなるし、単に動物として肉欲を満たそうとする罪の道具にもなります。


僕らが目指すのは、神様から与えられたきよく良いものとしての性欲や異性への好意をもち、神様にも相手にも感謝して、変えら途中のものとして恋愛し結婚することです。


③出会いにおける罪の影響


罪を犯した時から人間は自分を隠すようになり、人をさばくようになりました。(創世記3章)罪の影響は今もあって、他人と関わるときに自分を隠します。最初から人を上から目線でさばいたり、愛そうとしなかったり、受け入れようとしなかったりです。自分にとって損か得で人の価値を決めたりします。これは神様から離れた人の特徴です。


もし付き合ったとしても、自分によくしてくれるかしてくれないかで、彼氏彼女を裁いたり付き合ったり別れたりを繰り返したりします。罪は相手を自分にとって利用価値があるかどうかで判断する。

利用価値があるかどうか、で人を選ぶなら一生良い人は現れません。


自分を幸せにするために相手を利用しようとする気持ちが強ければ強いほど、神様が願っている恋愛も結婚もできない現実があります。相手はこういう人であるべきだ、相手は自分にこうするべきだ、と強く思う人ほどうまくいかないと思います。ある人は離婚し、相手が悪かった、と思います。次の人はきっといい人だと思って結婚しますが、やっぱり違ったようです。見る目がなかった、と思ったし、さすがに私も2回失敗したので、人を見る目が養われて、次はうまくいくと思って3回目の結婚しましたが、やっぱり理想の人ではありませんでした。どの人も自分を満たしてくれません。

イエス様が出会ったサマリアの女は5人と結婚して離婚し、今6人目と同棲中です。

彼女にイエス様は言いました。


ヨハネ4章

13イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。

14しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」



正解は、神様で満たされ、神様に愛され、神様に認められ、承認され、御霊による満足と喜びがある状態を目指すことです。相手よりも神様を第一に求めることです。


出会いがない、良い相手がいない。と言います。

まず自分に聞いてみましょう。誰かで満たされようとしているのか、誰かを利用しようとしているのか。

正解は、神様に仕え、神様を愛し、神様に従うことです。そのように、相手に仕え、相手を愛し、従うことです。イエス様は受けるより与える方が幸いですとおっしゃいました。


僕の恩師は結婚式のスピーチで宣言していました。

「幸せになりたい人は結婚すべきではない。」

「相手を幸せにしたい人だけが結婚すべきです」


④どうすればいいの?


神様以外で満足しようとしていたことを悔い改めることです。

彼氏ができれば、彼女ができれば幸せになれるとか、結婚すれば幸せになれるということをやめることです。


これは僕も戦い中です。妻に認められ、妻に気に入られたいです。妻に認められないと不満です。一生の戦いです。


三浦綾子さんは、「結婚は愛の道場」と言いました。

道場って戦うとこです。罪と闘う道場です。神様を求め、愛され、神様によってに相手を愛し、赦し、仕えていく、自分の力でなく神様の御霊の力によって愛していく、赦していく、満たされていく、その戦いの場が家庭です。神様は「人がひとりでいるのは良くない。」とおっしゃいました。(創世記2.18)ひとりぼっちでは愛することができません。イエス様は何度も「互いに愛し合いなさい」とおっしゃいます。一人ではできません。


愛のお手本はイエス様です。イエス様の愛は自分を捨てることです。罪人のために、身代わりに十字架で血だけになって犠牲になり、相手のために祈ること、これがお手本です。


悲惨なことのように見えるけど、自分を捨てる事はキリストに満たされていくことです。自分の考え、自分の栄光、自分の損得を手放すことは自由と喜びと祝福の道です。


マルコ8章

34「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。

35,自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。


マルコ 10:29-30

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。


いつから僕らは「自分が自分が」というようになったのか、いつから自分の幸せばかりを基準にするようになったのか、それは人間が罪を犯して神様から離れた時からです。


どうやったら回復できるのか?まずちゃんと言語化して一つ一つ悔い改めていくことです

許してない人を赦すこと。さばいていたことを認めて止めること。


神様に喜ばれない罪の一つ一つをことをちゃんと告白することです。ここで、ちゃんと自分と向き合う時間をとりましょう。こちらを、今時間をとるので隣の人と話さないで、一人でやってみてください


※赦しの祝福

https://enndouminoru.blogspot.com/2024/09/blog-post.html




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●今から結婚の準備をする


罪を捨てると聖霊に満たされます。喜びと愛と平安が回復します。

罪を捨てると恐れが消えていくので、人に対してオープンになります。反対に、人にべったり依存する必要もなくなります。

神様に依存し神様によって満たされるようになります。いつも神様の言葉によって強められます。あなたは愛されている。あなたは赦されている、あなたは喜びの子、という言葉を聞き続けます。


天の父からのラブレター

https://www.church.ne.jp/glory/FathersLoveLetter.html



僕らは神様の愛を表す人になり、友達を愛し、自分を愛し、きよくされていきます。きよくされるとは、神様とひとつになっていく意味です。神様の心が僕の心になるようにと願い続けていくことです。


御霊の愛の表れとして、5つの愛の方法があります。

愛情言語 アンケート


https://love-language.co/ja


愛する方法はいろいろですが、得意なことはさらに用いて、これで良しと思わないで、苦手なことも御霊によってさせてもらいましょう。

まだまだ愛することができるし、まだまだ自分を捨てることができます。まだまだ苦手なことに挑戦できます。できないことをできるように祈り求め、祈ったら実際にやってみましょう。


いつでも始められます。独身であっても、友達にも家族にも愛を表すことができます。これはすでに結婚へのスタートを切って準備していることです。


全員に言われています。自分を捨てて、互いに相手を尊敬し、相手に仕え、しもべとなるという事はすべてのクリスチャンに言われています。


ピリピ2章

3,何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。

4,それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。

5,キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。


人に認められなくても神様に喜ばれています。神様に頼り、神様に評価されることを願って、自分を捨てて愛していくのは練習です。


「物事を自分の思い通りにしなければならない」っていう強迫観念が、かなりの束縛を生んでいます。自分を縛っています。ちょっとしたことが計画通りにいかないだけで、何週間もイライラしたり、胃潰瘍や自殺にまで追い込まれる人もいます。


神様の願いは僕らが自由になることです。自由に自分を忘れて、神様と人を愛する人になれます。御霊によって変えられます。ほとんどのことは、自分が思っているほど重要じゃないって気づくことが大切です。争い傷つけあうのは、大抵の場合自分の思い通りに物事が進まないから。それだけです。


イエス様は私のくびきは負いやすい、私の荷は軽い、とおっしゃった。

罪を告白して、御霊によって愛し合うことを願っていくことは、自分の思い通りに物事を運ぼうとする重荷から解放されることです。


人が期待通りに動かなくてもイライラしないで済むし「仕返し」からも自由になれます。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」っていうのも、この御霊による自由の表れです。


マタイ 5:39-41

しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。

あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。

あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。


やらされてるんじゃなくて、神様の御霊は、あなた方を自由にするのであって、喜んでに敵を赦し、要求する人に対して与える自由な人になりなさいと言うことです。


自己中な奉仕は「誰に奉仕しようか」と選ぶことがあります。立場の高い人に奉仕するとか、逆に弱い立場の人に奉仕して良く見せるとか。でも、神様の御霊の愛はそういう差別をせず、全ての人に対して仕えます。


どんな人と結婚したいか?もちろん一緒にいて楽しい、安心できる。収入がいい、美しいなど、色々あるけど、でも、それが相手が利用価値があるかどうか、という基準なら準備できていません。結婚するのは相手を利用するためでなく、相手に仕え、愛するためです。


結婚の準備とは、今から他の人に仕えることを学ぶのが一番で、そうすることで成長し、謙遜な人に変えられていきます。


一日の始まりに「今日、誰かに奉仕でき、誰かを愛せるように導いてください」って祈りながら毎日変えられていきましょう!


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