エペソ2.1-10
Wi-Fiが切れたスマホが役に立たないのと同じように、神様から切れた人も生きていても死んでいるようです。そんな人をターゲットにして、悪霊は本物のWi-Fiのフリをしてその人を乗っ取り、アカウントを乗っ取って意のままにコントロールします。そのように悪魔は神様から離れた人たちを食い物にしています。僕らみんなそのような者でした。
(エペソ人への手紙 2章1~3節)
さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、
かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
乗っ取られてみんなに迷惑をかけている端末のような僕らを、神様は見放さず見捨てませんでした。捨てられて当然の僕らを、神様はあわれみ、愛し、もう一度神様に繋げて新しく生き返らせてくれました。
(エペソ人への手紙 2章4~5節)
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
周りにも悪影響をもたらしている人を神様が愛しておられる理由がわかりません。イエス様は「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」とおっしゃいます。(マルコ9.13)その理由を聖書は「この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すため」といいます。(7節)人間からは絶対に出てこない恵みと愛です。もし、復活して良い行いができたとしても、誰も自慢することができません。
(エペソ人への手紙 2章7~9節)
それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
僕らは神様の作品になりました。アカウントは神様です。悪魔とは切れました。今度は神様の意のままに良い行いをします。良い行いをするために復活した作品です。全て神様が用意し与えてくださったプランです。僕らから出たものは何もありません。
(エペソ人への手紙 2章10節)
実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
神様から離れて死んでいく人たちを愛する心と、彼らを見捨てない良い行いが与えられました。これは人知をはるかに超えています。全部が神様からの力です。この神様は「私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」です。(3章20節)
今日も力を抜いて、使ってもらいましょう。良い行いは神様から与えられます。自慢も自力も不要です。力を抜いて自分を手放していくなら神様の愛と恵みと感謝で一杯にされます。今日も使ってもらいましょう。全部は神様の愛と恵みの表れです。ハレルヤ!
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