エペソ2.11-22
苦手な人や受け入れられない人は誰にでもいます。でも、キライなあの人のために、イエス様が血だらけになって呪いを受け、神様に赦しを願っておられます。その十字架を見上げるときに、僕らはへり下り、敵意は消え去ります。自分を正しいと思い、他の人を見下していた自分が恥ずかしくなります。
キリストこそ僕らの平和です。僕らが勝手に作り上げた敵意や憎しみを終わらせてくださいます。僕らが敵だと思っても、神様にとって命を捨てるほど愛している大事な子どもたちです。
(エペソ人への手紙 2章14~16節)
実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
ユダヤ人たちは「様々な規定から成る戒めの律法」(14)を大事にしていました。それを守らない人たち=異邦人を見下していました。同じように僕らも自分なりの正義とかマイルールを大事にし、それを守らない人たちを嫌います。ところが、イエス様は「こうでなければ」という律法を廃棄されました。
律法を守らない人を愛し呪われ裁かれて処刑されているイエス様を見上げる時に、「こうあるべし」と威張っていた自分が恥ずかしくなります。僕は神様に赦され憐れみを受けた罪人です。聖書は「思い出してください」(11)と言います。僕らの過去がどれほどヒドイものだったかをです。
(1-3)
1,さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、
2,かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
3,私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
(11-12)
ですから、思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、
そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。
何も威張れない罪人です。悪霊に従い、肉欲に従っていた罪人です。そんな僕のところにイエス様の方から来てくださり、愛さしてくださり、僕らは神様の子どもになりました。
(17)
また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。
苦手なあの人も同じです。神様から見れば同じ罪人だし、命を捨てるほど愛してくださっている大事な子どもです。イエス様によって赦されて受け入れられた子ども同士は兄弟であり家族です。「行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(9)国籍や人種や肩書も関係ありません。
(エペソ人への手紙 2章18~19節)
このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
「神様の子どもたち」とはもともとユダヤ人限定でした。そしてユダヤ人たちは、異邦人たちを汚れた人、律法を守らない人として見下し差別し、交わることを拒否していました。
ところが、イエス様はどの国の人も同じように、イエス様によって神様に近づくことができるようにしてくださいました。
(エペソ人への手紙 2章13~16節)
しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
ユダヤ人も異邦人も関係ありません、ただイエス様につながる人たちが神様の家族です。
イスラエルと周辺諸国の戦争がいつ終わるのか、いつ平和が来るのか、と思います。答えは、イエス様の十字架の愛と赦しを知った時です。それを知った人は敵を赦すことができます。自分も赦されたからです。赦された人同士は神様の子どもとされ家族とされます。「このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。」(18)
自分を傷つけたあの人のために、絶対にゆるせないあの人のために、イエス様が血だらけになって神様に赦しを願っておられます。その十字架を見上げるときに、僕らは何も言えなくなります。十字架を見上げましょう。自分の正義感や怒りや悲しみを告白しましょう。イエス様の祈りと願いを聞きましょう。
「こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」(15)
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