イザヤ30.1-17
僕の師匠である牧師の奥様が言っていました。「その課題に4時間かかると思ったら、1時間は祈ればいいのよ。」危機的な時こそ人間的な力に頼らず、ただ主を求め、主の御言葉を求め、静まって自分の全てを主に明け渡すことは聖書が教える正しい方法です。イスラエルが外国に狙われ危機的な状況にあるとき、彼らは神様を忘れて「早馬で逃げよう」とか「エジプトと安保同盟を結ぼう」と考えました。そんな彼らに神様は言われます。
(イザヤ書 30章15~17節)
イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたはこれを望まなかった。
あなたがたは言った。「いや、私たちは馬で逃げよう」と。そう言うなら、あなたがたは逃げてみよ。また、「私たちは早馬で」と言った。そう言うなら、あなたがたの追っ手はなお速い。
一人の脅しによって千人が逃げ、五人の脅しによってあなたがたは逃げる。ついには、残る者が山の頂の旗ざお、丘の上の旗のようになる。
人間が考えるプランがどんなに素晴らしくても、神様に聞かず、御霊によるのでなければ役に立たないし、むしろそのプランは「わざわいだ」「罪を増し加えるばかり」「恥となる」と聖書は言います。
(イザヤ書 30章1~5節)
「わざわいだ、頑なな子ら。──主のことば──彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ。
彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示を仰がない。ファラオの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。
しかし、ファラオの保護に頼ることはあなたがたの恥となり、エジプトの陰に身を隠すことは恥辱となる。
その首長たちがツォアンにいても、その使者たちがハネスに着いても、
彼らはみな辱められる。自分たちにとって役に立たない民のゆえに。その民は彼らの助けとならず、役にも立たない。かえって恥となり、そしりの的となる。」
僕らにとっての助けは、素晴らしいプランでも力でもありません。神様ご自身が僕らの助け、力です。神様を忘れて見えるものや方法を求めるなら「わざわいだ」「罪を増し加えるばかり」「恥となる」と言われています。良いものである仕事が、知識が、神学が、家族が、スケジュールが、お金が、政治が、名声が、快楽が、安心感が、承認されることが偶像になることがあります。
今日もいろんな問題が誘惑が攻撃があります。人間的な対応を考える前に、まず静まって神様に求めましょう。神様に愛されています。神様は聖書を通して語ってくださいます。人知を超えた救いがあります。たとえ思い通りにならなくても大丈夫です。ただ御名が聖なるものとされますように。み心が天で行われるように地でも行われますように。思いもよらない救いが神様にあります。力はと栄光は主のものです。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿