テトス2-3章
発芽した種は成長して美しい花を咲かせ実を結びます。
芋虫はさなぎになり美しい蝶になり空を飛びます。
種も芋虫も自分で頑張って変わろうとしているのではなく、もともと神様がそのようにデザインし作られたものです。
同じように、僕らも神様の良い行いをするようになります。それは「神の教えを飾るようになるためです。」(2.10)まるで僕らも美しい花を咲かせるようです。
イエス様を信じた人は古くて醜い昔の姿を脱ぎ去り、新しく美しく変えられます。それは、イエス様の愛が注がれ、「あわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救って」下さった結果です。(5)
(テトスへの手紙 3章3~6節)
"私たちも以前は、愚かで、不従順で、迷っていた者であり、いろいろな欲望と快楽の奴隷になり、悪意とねたみのうちに生活し、人から憎まれ、互いに憎み合う者でした。
しかし、私たちの救い主である神のいつくしみと人に対する愛が現れたとき、
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。
神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。"
種や芋虫と違うところは、自動ではなくて、神様の御言葉に教えられたり励まされたり時々注意されながら進んでいくことです。聖霊は必ず実を結びます。ですが、途中経過は地味です。教会の中で聖書のことばを互いに教えたり教えられたり注意されたりしながらです。まるで親が子どもを愛し、忍耐し、見守りながら大事に育てるかのようです。
(テトスへの手紙 3章1~2節)
"あなたは人々に注意を与えて、その人々が、支配者たちと権威者たちに服し、従い、すべての良いわざを進んでする者となるようにしなさい。
また、だれも中傷せず、争わず、柔和で、すべての人にあくまで礼儀正しい者となるようにしなさい。"
ニセものクリスチャンがたまにいます。「彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています」(1.16)ニセでない限り必ずイエス様の愛を表すように変化します。それは良い行いです。
(テトスへの手紙 3章8節)
神を信じるようになった人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであり、人々に有益です。
(テトスへの手紙 3章14節)
私たちの仲間も、実を結ばない者にならないように、差し迫った必要に備えて、良いわざに励むように教えられなければなりません。
実際にどのように変わっていくのか、聖書はかなり具体的です。年配の男性の実、年配女性の実、若者の実、人の下で働く人の実、神様の愛はそれぞれの立場で現れ方が違います。いずれにせよその行いや美しい性格は「神の教えを飾るようになるため」です。(2.10)
(テトスへの手紙 2章2~6節)
"年配の男の人には、自分を制し、品位を保ち、慎み深く、信仰と愛と忍耐において健全であるように。
同じように、年配の女の人には、神に仕えている者にふさわしくふるまい、人を中傷せず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。
そうすれば、彼女たちは若い女の人に、夫を愛し、子どもを愛し、
慎み深く、貞潔で、家事に励み、善良で、自分の夫に従順であるように諭すことができます。神のことばが悪く言われることのないようにするためです。
同じように、若い人には、あらゆる点で思慮深くあるように勧めなさい。"
(テトスへの手紙 2章9~10節)
"奴隷には、あらゆる点で自分の主人に従って、喜ばれる者となるようにし、口答えせず、
盗んだりせず、いつも善良で信頼できることを示すように勧めなさい。それは、彼らがあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。"
僕らは実を結ぶ花のよう、イエス様の教えの飾りのよう、イエス様につながるぶどうの実のようです。必ずそうなります。楽しみながら教えられましょう。大事に愛しながら教え合いましょう。ハレルヤ!
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