イザヤ65.17-25
将来どうなってしまうんだろうと不安感付きまとうかもしれません。でも、闇の先には光があります。神様がハッキリとそう約束してくれているからです。
神様のおっしゃる将来をイメージすることはすごく大切です。
(イザヤ書 65章17~19節)
"見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。
だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
創世記1章で、神様がこの世界をお作りになったとき「非常に良かった」とおっしゃり、神様はこの人間も動物もすべての被造物を喜んでおられました。そして、イエス様はもう一度この世界を喜びの世界に作り変えられます。イエス様がもう一度こられた世界の特徴は喜びです
●喜びしかない世界
イエス様が来たら困る、という人がいます。あのことはバレる、とか、イエス様を知らずに死んでしまった人はどうなるか?とか心配で、喜びは消されてしまうんじゃないか、と思います。ところが、聖書は「先のことは思い出されず、心に上ることもない。」と言います。(17節)以前のことはもう思い出されず、そこには喜びしかありません。
あなたの罪を二度と思い出さない、とおっしゃる通りになります。(ヘブル10章17節)僕らの心は完全に新しくされるようです。心配事は全てなくなってしまいます。滅んでいく人たちへの悲しみもなくなるようです。
●僕らの体は変わります。
(イザヤ書 65章20節)
"そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。"
世界は劇的に変わります。出産の苦しみ、子どもの死、そして育児の苦しみはもうありません。老人が苦しむこともないようです。100歳でもピンピンしています。今とは全然違う世界です。22節では「わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、」とあります。ちなみに、創世記を読むと、アダムの人生は930年、ノアは950年です。(創世記 5章5節など)
今とは違う健康的な、というより完璧な世界が来ると聖書は僕らに伝えています。
●仕事が喜びの世界
新しい世界はヒマではありません。仕事の喜びもあります。21-22節です。
(イザヤ書 65章21~22節)
"彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者たちは、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。"
神様の王国は雲の上をふわふわと浮いているのではありません。
完全な安息があるけど、何にもしないぼーっとしているのとは違います。
僕ら地上の仕事は、喜びがないことが問題です。強制的にやらされていたり、搾取されていたり、貪ったりします。でも、新しい世界は違います。
「彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。」(21)とあるように、利用されるとか、奪われることはない世界です。
イエス様の世界では仕事が喜びで満たされています。充実感に溢れています。
最初人間が作られた時に、神のかたちに、似せて造られました。そして地を耕しなさい。この世界を治めなさい、と神様はおっしゃいました。そのように僕らはもう一度神様と一緒にこの世界を管理するものとなります。それは喜びです。世界は変わります。今まで軍事に使っていたすべての技術やすべてのお金、時間、全部がこの地を豊かにするために使われるようになります。
(イザヤ書 2章4節)
"彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。"
神様とツーカーの世界
その時、僕らとイエス様の間には完全な一体性があります。僕らはイエス様とと一体とされています。
(24)
彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
僕らが呼ぶ前からイエス様は聞いてくださり、僕らもイエス様の語りかけがわかります。まるで一体です。僕らの心と神様の心はいつも交わり、一致しているかのようです。新しい世界では1秒でも神様の心と離れることはありません。
何年も祈ったのに答えがない、神様いつまでですか?なんてことはもうありません。いつも繋がっています。すぐに神様の心がわかります。というか、神様の心が僕らの心になっています。その時には「待ち望む」とことはありません。
自然界が完璧に調和する世界
その時、肉食動物はいなくなるようです。ライオンが草を食べています。
(イザヤ書 65章25節)
"狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。──主は言われる。」"
動物でさえ、お互いに殺し傷つけ、食べることはありません。
まして、人間同士がお互いに傷つけたり利用することはありません。
自然界は脅威ではありません。動物たちはもちろん、全ての人が安心して喜んでいます。
(イザヤ書 11章6~8節)
"狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。
雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。
乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。"
子供たちはゲームよりもライオンと遊ぶ方が楽しいようです。最高の世界です。
●僕らへの適用
今は悲しみがあり心配がありトラブルがたくさんあります。そして、未来は逆に完全に癒やされている世界です。全ての人が神様に喜ばれています。19節に「私の民を楽しむ」とあります。
今、自己嫌悪に浸っている人は喜ばれ、楽しみにされ、愛されているイメージを持つのが信仰です。僕らは現状だけを見ますが、神様は完成された世界を見ておられれます。
忍耐は神様が与えてくださる将来像をイメージして待つことです。神様が与えてくださる世界を心の目で見る人は幸いです。神様の言葉にとどまる人は、病気も災いも地球の終わりも恐れません。
その先に回復があることを信じているからです。
(ヤコブ5.7-8)
7,ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
8,あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。
将来、多くの人々が喜び歌っています。神様に喜ばれています。そして僕らは今からもう神様に喜ばれています。そして、今から感謝し、賛美し歌っています。
闇の先には光があります。破壊の先には再建があります。飢餓の先にはには満足があります。
なんでそう言えるのか?それは神様がハッキリとそう約束してくれているからです。ハレルヤ!
(コリント人への手紙 第二 4章18節)
"私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。"
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