2024年12月30日月曜日

ユダの手紙「主の栄光と主権を奪われないための戦い」メッセージ

 ユダの手紙 「主の栄光と主権を奪われないための戦い」


●導入

聖書は神様から私たちへのラブレターです。言い切ります。今日の読んだ聖書の箇所もラブレターの書き方です。


(ユダの手紙 1章1-3節)

イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている、召された方々へ。あわれみと平安と愛が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。愛する者たち。


イエス様のしもべユダって言う人は、実はイエス様の弟ですが、「俺、イエス様の弟」と言わず、イエスキリストのしもべです。イエス様に仕え、しもべとしてメッセージを伝える人です。


同じように東栄の皆さんは、神様に愛されてる皆さんです。イエス・キリストによって守られています、神様に召された人たちです。それで皆さんが守られるために、今日は注意喚起の手紙を送ることになりました。


今日の手紙は危ないことが起こってるから、気をつけて戦うようにという手紙です。理由は、偽信者がわからないように入ってみんなを惑わしているからです。


(ユダの手紙 1章3節)

"愛する者たち。私たちがともにあずかっている救いについて、私はあなたがたに手紙を書こうと心から願っていましたが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。"


外からの迫害はわかりやすいんだけど、内部からわからないように静かに腐っていくことには弱いのが教会です。なので、今日、東栄教会もちゃんとその問題を見抜いて対応できるように、と与えられている箇所です。


●一見わからないニセ信者とその特徴


①淫らな生活を肯定する

イエス様と教会の権威や秩序を否定する


簡単にはわからないようです。不思議です。


(ユダの手紙 1章4節)

"それは、ある者たちが忍び込んできたからです。彼らは不敬虔な者たちで、私たちの神の恵みを放縦に変え、唯一の支配者であり私たちの主であるイエス・キリストを否定しているので、以下のようなさばきにあうと昔から記されています。"


「こっそり忍び込む」弁護士が陪審員や裁判官の心にうまく忍び込んで、明確な判断を腐らせるときにも使われるそうです。すごく巧妙に、邪悪な意図を持って忍び込んでくるようです。

マタイ7章で「羊の群れに狼が忍び込む」ってイエス様は言いました。彼らは羊を食い荒らし、嘘を持ち込んで、狼が群れを襲うように、食い荒らすために入ってきます。彼らの特徴は「羊のなりをして」現れるとも言ってます。神様の羊、のふりをして入ってきます。また当時の預言者は羊の毛皮を着てたそうです。だから、神様の言葉を知っている人っぽく入ってくるようです。


ニセ信者は実はめちゃくちゃな生活をしていることが書かれています。だのに、それでも一緒に仲間として生活します。12節では「恐れる心もなく一緒に食事をします」


今日の箇所にはニセものの特徴が書かれています。

主に2つです。1、淫らな生活を肯定する。2 イエス様も教会の権威や秩序も否定する。

まずその特徴が書かれているところを抜粋して読みます。


①淫らな生活を肯定する


(ユダの手紙 1章4節)

"それは、ある者たちが忍び込んできたからです。彼らは不敬虔な者たちで、私たちの神の恵みを放縦に変え、唯一の支配者であり私たちの主であるイエス・キリストを否定しているので、以下のようなさばきにあうと昔から記されています。"


彼らは神の恵みを「まあ、神の恵みがあるから何をしてもいいじゃん」と利用して、淫らなことを正当化する人たちです。「神の恵みで覆われるから、何しても大丈夫だよ!神は僕たちを赦してくれるんだから、心配しなくていいよ」って言っています。「委ねよう」「心配しないで」ってクリスチャンが言いそうなことを言います。でも、実は自分の淫らな生活を隠すため、あるいはそれを正当化するために聖書の言葉を使うようです。「神がこんな私をも愛してくれるんだから、この淫らな生活も問題ないよ」と無理やりな理屈を正しい教えのように広げていく人たちです。

彼らの特徴の一番に挙げられるのは、肉欲のままに動くことです。何度も繰り返し書かれています。


8節「肉体を汚し…」 

10節「わきまえのない動物のように、本能で知るような事柄によって滅びるのです。」 

18節「自分の不敬虔な欲望のままにふるまう。」 

23節「肉によって汚された下着さえ忌み嫌い…」


その人たちが淫らな生活が良いことだ、と言う理由は夢で語られた、と言うこともあるようです。


(ユダの手紙 1章8節)

この人たちは同じように夢想にふけって、肉体を汚し、権威を認めず、栄光ある者たちをののしっています。


その人たち夢想にふけるとあります。他の訳では「夢見るもの」です。「神の声を聞いた」「夢で啓示を受けた」とか言って、自分の考えに権威を与えようとするようです。妄想、夢想で神様のことを言い出して、自分達の欲望を肯定します。


イエス様と教会の権威や秩序を否定する。


(ユダの手紙 1章8節)

この人たちは同じように夢想にふけって、肉体を汚し、権威を認めず、栄光ある者たちをののしっています。


自分が神様のことばを預かった権威者のように言うので、他の教会の指導者とか牧師の権威を認めません。この教会のあの人はわかってない、というようです。キリスト教から始まった信仰宗教は大体このパターンが多いようです。統一教会の教祖はもともと伝統的なキリスト教の長老でした。その人が自分が啓示を受けている、と言い出して新しい教えを作り自分の栄光を求め始めます。教祖に共通しているのは、夢想にふけって、神様から教えを預かっていると主張することです。


この当時まだ現役の12使徒たちも認めず、ののしります。「権威を認めず、栄光ある者たちをののしっています。」自分達こそ神様の啓示を受けていて「使徒たちはわかってない」といい、罵り、結果としてイエス様も否定する、そういう人が忍び込んでいます。

それで、聖書は彼らの見分け方を教えてくれてます。まず、彼らの口が話していることを聞けばわかります。


(ユダの手紙 1章16節)

"彼らは、ぶつぶつ不満を並べる者たちで、自らの欲望のままに生きています。その口は大げさなことを語り、利益のために人にへつらいます。"


彼らの発言はまずは不満だらけです。そして彼らの発言は大げさです。自分の利益のために発言します。自分のための自慢話です。他の人を持ち上げる時もあるけど、媚びへつらうこともあるけども、それは自分になびかせるため、自分の利益のためです。人々を自分になびかせるので、結果として教会に分裂を起こす人たちです。

その発言が、神様の栄光を表そうとしているのか、自分の栄光と権威を表したいのか、聞けばわかります。他人を褒めることもあるけど、それが自分のためにやってるのか、御霊によって神様の愛と励ましなのか、識別力が大事です。


(ユダの手紙 1章19節)

"この人たちは、分裂を引き起こす、生まれつきのままの人間で、御霊を持っていません。"


彼らは「自らの欲望のままに生きています。」(16)自分が王様なので、自分に従う人を求めます。教会に派閥ができて分裂します。彼らは御霊を持ってません。


●彼らへの裁きの実例

①荒野で滅ぼされたイスラエル人たち

②永遠の暗闇に落とされた御使いたち

③火の刑罰を受けたソドムとゴモラ

④カイン、バラム、コラ


聖書は裁きについて書きますが、これは新しい話でなくて、過去にも似たような人はたくさん出てきたし、聖書にたくさん書かれているから、知ってますよね?思い出してください、と言います。


(ユダの手紙 1章5節)

"あなたがたはすべてのことをよく知っていますが、思い起こしてほしいのです。イエスは民をエジプトの地から救い出しましたが、その後、信じなかった者たちを滅ぼされました。"


ここから裁きの実例が4つ並べて書かれています


①荒野で滅ぼされたイスラエル人たち


あんなにすごい奇跡を体験して、海が分かれて救われて、何もない荒野で毎日マナが降ってきて、養われて、お肉が食べたいと言えば、うずらのお肉が与えられて、水がないと言えば、今から水が溢れ出して、こんなによくしてもらっているのに、彼らは体験しても信じない、そのような人たちが滅ぼされたことを思い出してください、と言います。


カナンの地、そこは乳と蜜の流れるほど豊かな素晴らしい祝福の地なんだけども、そこに偵察に行ったら、どうせうちらは先住民に殺されるんだ。無理だ、無理だ、と言って神様の約束よりも、自分たちの妄想を信じて荒野で死んでいった人たちを思い出して欲しい。

今もこの裁きはありますと言うことです。神様の約束よりも、自分の妄想、自分の考えを信じて滅んでいく人たちが今もいることを思い出してほしい、と聖書は言います。

 

②永遠の暗闇に落とされた御使いたち


(6)

またイエスは、自分の領分を守らずに自分のいるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の鎖につないで暗闇の下に閉じ込められました。


御使いは人間よりも、はるかに神様に近く、神様の美しさを表して、神様に直接お仕えし、賛美する霊的な存在です。神様を賛美しお仕えする美しく聖なる存在だったのに、あんなに霊的で素晴らしい御使いさえも、高ぶり、神様に裁かれ永遠に暗闇に落とされていることを思い出してほしい。


③火の刑罰を受けたソドムとゴモラ


思い出してほしい、ソドムとゴモラの町中の人たちがやっていた罪。ソドムとゴモラに刑罰が降ったことを思い出してほしい


(7-8)

7その御使いたちと同じように、ソドムやゴモラ、および周辺の町々も、淫行にふけって不自然な肉欲を追い求めたため、永遠の火の刑罰を受けて見せしめにされています。


みんな知ってるはずです。不自然な肉欲と言うのは、男性同士の性行為です。それを求めた人たちが永遠の火の刑罰を受けて見せしめにされています。」


教会の中に忍び込んできたリーダー的な人たちが、教会の中での同性愛も悪くないよね、同性の性行為もいいよね、と肯定し教えていたようです。

今まで、その人たちがどうなったか、思い出してください、神様の怒りと裁きはあります。と言う手紙です。4-5節「以下のようなさばきにあうと昔から記されています。あなたがたはすべてのことをよく知っていますが、思い起こしてほしいのです。」と強調しています。


④カイン、バラム、コラ


(ユダの手紙 1章11節)

"わざわいだ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのように背いて滅びます。"


カインの道と言うのは、弟が捧げ物をしてそれが受け入れられたこと妬み怒り殺しました。そのような人です。結果、神様は彼を裁き、大地は呪われ、耕しても作物を実らせなくなりました。カインはただ荒野をさまよう人になりました。


そして、次にバラムの迷いと書いてあります。バラムと言うのは、お金によって神様のことばを曲げて預言をした人です。その結果イスラエルに外国の女性と淫らなことをさせた原因となったのがバラムです。彼は利益のために預言し、人々を迷わせ、淫らなことを肯定する結果になり、神様の怒りと裁きとしてイスラエルのうち24000人が死にました。その後バラム自身も殺されています。


そして、3人目のコラも有名です。彼はモーセが指導者であることに反対しました。「神の民すべてが聖なるものだ」という理屈で、仲間を集めて謀反を起こしました。最終的に神はコラと彼の仲間を地面の裂け目に飲み込ませるという罰を下しました(民数記16:31-33)。罪の報酬は死です。罪には必ず刈り取りがあります。


カイン、バラム、コラ、彼らが求めていたのは神様ではなくて、自分の権威と栄光、自分の欲望、お金です。今も、3つのGに気をつけなさいと言われています。


Glory(自分の栄光)Girl(女性 異性) Gold(お金)


多くの誘惑はこの3つから入りやすいです。

自分にとって誘惑になりやすいものを一つ選ぶならどれでしょう。どの誘惑に一番流されやすいでしょう。いろんな牧師がいるけど、中には自分のプライドや栄光、自分の権威を表すために教会の指導者になりたがる人がいます。もちろんお金や淫らなことでおかしくなって辞任した人もいます。神様は放っておきません。


裁きはあります。神様だけが裁きをします。神様の前で明るみにでないものはありません。

裁くのは僕らではありません。カインも、コラも、バラムも神様が裁きました。裁きは神様がしてくれます。罪の刈り取りはあります。

その時に幸いな人は、ちゃんと罪を認め、ごめんなさい、と祈れる人です。悔い改めることができる人は幸いです。神様へのいけにえは、ささげ物は砕かれた霊、砕かれた心です。


(詩篇51.17)

神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。


悔い改めない人には永遠の裁きが用意されていることを思い出しなさい、とこれでもか、と言うほどに実例をあげて説得しているのが、今日の箇所です。裁きは神様がします。


●自分のための対策、周りのための対策

①慌てないこと

②聖なる信仰の上に築き上げること

③聖霊によって祈ること

④神様の愛の中に保つこと

⑤憐れみ、助けること


前提があって、まず、神様に愛され守られています。最後まで守られます。この守りの中に留まるように教えています。


(24)

あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、


じゃぁ僕たちは何もしなくていいのか?そんなことはありません。


①慌てないこと


そういうニセのリーダーが現れることは決定済み。だからびっくりしたり、「何かが間違っていた」って思ったりしなくていいことです。


(17-18節)

17愛する者たち。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語ったことばを思い起こしなさい。

18彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、嘲る者たちが現れて、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう。」


イスラエルでさえ、その直後に神様に逆らう人たちが起きました。天国だって例外ではありません。神様のすぐそばにいながらでも天使たちは堕落しました。


教会だけは大丈夫なんてことはありません。必ず嘲る人たちは現れます。神様を馬鹿にして欲望のままに生きる人が現れます。「なんで教会の中にこんな問題が起こるんだろう」って思わないくても大丈夫です。思い出してください。神様がそうなるって言ってた通りです。


②聖なる信仰の上に築き上げること


(ユダの手紙 1章20節)

"しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。"


「聖なる」=「神様の」って言う意味です。聖なる書と書いて聖書。神様の書。聖なる歌と書いて聖歌。神様の歌です。人間から出たものではありません。同じように聖なる信仰とは、神様から与えられる信仰です。人間的なものが入らない信仰です。神様からの、信仰、そして神様への信頼、信仰、その上に自分を築き上げなさい。「最も聖なる信仰の上に」


信仰は聞くことから始まります。聖なる言葉である聖書を、その全体を聞くことによって読むことによって、理解することによって、僕らは成長します。御言葉は人を育てます

人の言葉ではなく、神様の言葉によって、です。聖なる信仰の上に自分自身を築き上げなさい。

誰かさんの言葉でなく、あの先生がこう言ったこのYouTubeのあのなんとか牧師がこう言ったってこと、鵜呑みにしないで、自分で聖書を調べる必要があります。最も聖なる信仰の上に築きあげなさい、です。不純物が入らないように、又聞きとか、動画でこんなこと言ってたよー、と他人任せでなくて、自分で聖書を読んでほしいと思います。誰かさんへの信頼でなく、神様からの最も聖なる信仰の上に、です。

僕がメッセージが言ってることも、本当かどうか、聖書を調べてほしいと思います。そして間違いだったら注意してほしいです。僕も偽教師になりたくないからです。


僕はやっぱり決められた箇所を、好き嫌いしないで、選ばないでちゃんと通読することをお勧めします。東栄ではみことばの光の表をおすすめしています。今日、週報に入っていると思います。2025年の通読表です。普段読まないところ、難しいところ、わからないところも、読んでほしいです。偽信者は自分の考えに合うところだけ好んで利用します。考えに合わないところは無視します。


③聖霊によって祈ること


(ユダの手紙 1章20節)

"しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。"


そして聖霊によって祈りなさい。聖なる霊と書いて聖霊。神様の霊です。聖霊によって祈りなさい、と言います。福音書を読むと、弟子たちが祈っていた、と言う箇所はなんとゼロです。祈っていたかもしれないけど、記録はゼロです。十字架の前の晩、祈ってほしい、とイエス様がお願いした日でさえ彼らは寝てしまいました。


ところが、使徒の働きを見ると弟子たちはいつも熱心に祈っているのがわかります。

何があったのか?それは彼らが聖霊を受けてからです。


自分の妄想や自分のお願いリストでなくて聖霊によって祈るようになったのです。彼らの願いでなく、彼らの中にいる聖霊が神様の祈りを神様の願いを祈るようにさせてくれます。そのように聖霊によって祈りなさい。"

と言います。信じた人には聖霊があたられています。自分の願いでなくて、神様の願い、神様の祈りを祈ります。


聖書にたくさん祈りが書かれています。それはまさに聖霊の祈りです。イエス様が教えてくれた主の祈りは御霊の祈りです。神様の願いを自分の願いとして祈ることです。聖なる祈りとは主の祈り、聖書に書いてある祈りは聖なる祈りです。多くの詩篇は聖なる祈りです。


一生懸命神様に教えてあげるような祈りではなく、神様の願いの通りに、聖霊と一緒に祈ることです。神様の主権、神様の計画、神様の栄光、神様のみこころを求める祈りです。み名が聖なるものとされますように。御国がきますように。御心がなりますように。


世界中のクリスチャンが最後にイエス様の名前で祈りますと言います。これは、この祈りが僕の祈りだけど、同時にイエス様の名前のついたイエス様の祈りである、と言うことです。


(ヨハネ16:26)

その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。」


僕らの祈りでもあり、聖霊によるイエス様の祈りでもあります。


④神様の愛の中に自分を保つこと


神様の愛の中に自分を保ちなさいといいます。


(ユダの手紙 1章21節)

"神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。"


愛とは、イエス様が罪を赦すために十字架で血を流し全てを捨ててへり下り、人の下になって下さったことです。その愛の中に、あの十字架の恵と愛の中に自分を保ちなさい、と言います。イエス様にだけ救いがある、イエス様の愛の中に留まりなさい。この愛の中にいない偽信者は、自分の主張、自分の考え、自分の力、自分を正当化するのに必死です。


こないだ、シードワーシップの時に村田こうき先生が言ってました。赤ちゃん産まれたばかりです。

うちの子は夜中なくし、寝てくれないし、よだれとうんちといつも出してるし、でも、可愛い。でも、愛している。同じように、僕らも愛される子どもとして留まりなさい、と言います。神様の愛の中に自分を保ちなさい。赤ちゃんはクリスチャンのお手本です。子どものように神様に愛され、守られている。

そこに留まりなさい。それで充分です。赤ちゃんはクリスチャンのお手本だと思いました。


(ユダの手紙 1章21節)

"神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。"


自分で、自分の考えで、自分の欲望で生きようとするのは神様の愛から離れたみなしごのようです。


⑤憐れみ、助けること


最後に、周りの人たちがぐらついて、信仰から離れていって、偽物の教えに流されていったら、どうするか22節に書いてあります


(ユダの手紙 1章22節)

"ある人々が疑いを抱くなら、その人たちをあわれみなさい。"


誰かが引っかかって混乱しているなら、「もう関わりたくない。あっちに行け」ではなくて、その人たちに対して憐れみなさい、と言います。東栄教会の中にも、そういう人たちがいるかもしれません。「最近ちょっと色々考えちゃって」「東栄教会って最近どうなのって思っちゃって、」そう言うぐらついている人を裁かないで、憐れみなさい、彼らの立場に降りて考えなさい、と言います。


神様の憐れみとは、完璧すぎる神様が、不完全な僕らのところに降りてきて下さって、受けれいてくれる、と言う意味です。僕らは神様の憐れみによって受け入れ愛されています。

だから、あなたもそうしなさい、と聖書は言います。

上からではなくて、彼らには憐れみを持って愛して関わることです。

放っておかない、裁かないで助けなさいと言うことです。切り捨てるのでなく、憐れみ、助けなさい、と言います。


そしてもっとやばい人。もう神様の火の裁きの中に自分から行ってしまうような人


(ユダの手紙 1章23節)

"ほかの人たちは、火の中からつかみ出して救いなさい。また、ほかの人たちは、肉によって汚された下着さえ忌み嫌い、神を恐れつつあわれみなさい。"


火とはこの文脈から裁きのことです。その人はすでに肉欲に流され、イエス様を否定し、神様を馬鹿にしているかもしれません。その罪を教会に持ち込んで、自分は神様から啓示を受けたとか言って混乱させたり分裂させたりしているかもしれません。


神様の裁きはあります。でも、その人は救いなさい、と言います。彼らの罪は嫌いなさい、その肉欲によって汚された下着さえも嫌いなさい。その人は淫らな生活をし、同性愛にふけり、肉欲の獣のような生活になってるかもしれません。自分を偉い人かのように栄光を語り、お金と欲望のために人に媚びてるかもしれません。そのような罪は嫌いなさい、でも、その人は救いなさい。と言います。


神様の御言葉から離れていく人を救い出すのは大変です。しかも、出ていくならまだしも、内部に居続けて聖書と違うことを教える人が大変です。でも慌てないで、救いなさい、憐れんでそうしなさい。罪は忌み嫌いなさい、でもその人は救いなさい、と言います。


教会に留まり続け、一緒に食事をしながら聖書と違うことを広める人への対応はすごく大変です。

聖書は言います


(2テサロニケ3章14-15節)

14,もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。その人が恥じ入るようになるためです。

15,しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。


交際しないようにする時も必要です。でもそれは敵対するためでなく、兄弟としてその人が回復するためです。イエス様が天から降りてきて、自分が傷ついて自分の全てを捨てても罪人を救ってくださったように、あなたも傷つくことがあるかもしれないけど、それでも神様から離れていく人を愛し救出しなさいといいます。


(ヤコブ5章19節-20節)

19,私の兄弟たち。あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すなら、

20,罪人を迷いの道から連れ戻す人は、罪人のたましいを死から救い出し、また多くの罪をおおうことになるのだと、知るべきです。


人を救う力は神様のもの、イエス様のものです。その権威は主のものです。僕らの力でなんとかするのではなくて、最初から最後までイエス様のものです。最後にそれを宣言します。


(ユダの手紙 1章25節)

"私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、支配、権威が、永遠の昔も今も、世々限りなくありますように。アーメン。"


これは、偽信者の求めてることと逆です。偽ものは自分の栄光、威厳、支配、権威を求めます。でも、聖霊は神様の栄光を求めます。

戦いとは、栄光と権威を神様にささげ、奪われないようにする戦いです。栄光と権威が神様だけにあるようにする戦いです。教会をイエス様のものとする戦いです。

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考えてみましょう。

①聖書の一部だけを使って自分を正当化する誘惑はありますか?

②自分の栄光、お金、異性の中で誘惑になりやすいものは何ですか?

③自分と周りが守られるためにすべきことを考えてみましょう。

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