ルカ1.28-38
「奴隷」とか「しもべ」って抑圧され搾取される悪いイメージしかないけど、「神様のしもべ」「神様の奴隷」は意味が真逆になります。それは喜びと祝福と恵みが与えられ続ける特別な身分です。これが僕らの身分です。キリストのしもべ(奴隷)として、心から神のみこころを行なうように、と聖書は教えます。(エペソ6.6など多数)これは窮屈を強いられるのではなく、自由と喜びと平安と愛に満たされる生活です。
当時16歳くらいだったマリアが妊娠してイエス様を産むと告げられたとき、「私は主のはしため(女の奴隷)です。」と言いました。(38)これは体の所有権を手放して神様にささげることです。体だけでなく、人生で起こること全てを神様にささげる告白でした。
(ルカの福音書 1章38節)
"マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。"
マリアは未婚だし身に覚えはないのに妊娠しました。たぶん、婚約者のヨセフは悲しみ、怒り、傷ついて去っていくだろうし、村の人たちからは「ふしだらな女」と言われ続けるかもしれないし…などなど、想像するだけでも不安やリスクしかありません。でも御使いはそれとは反対のことを言います。
(ルカの福音書 1章28~33節)
"御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」"
マリアは神様が自分の体と人生を通して行われることを知り、受け入れました。かわいそうな人生になったのではなく、幸せな人になったと彼女は告白しています。
(48-49節)
ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。
僕らも同じです。神様に人生を捧げ、この体を用いていただくことは最高の身分、喜び、祝福です。僕らは利用されている人ではなくて、神様に選ばれた喜びのしもべです。
僕らの体は弱く、もろく、土の器のようです。でも、この器を神様はご計画のために用いてくださいます。(2コリント4.7)測り知れない力が神のものであって、僕らから出たものでないことが明らかにされるためです。僕らの体は聖霊の宮です。もはや自分自身のものではないです。そして、神様はこの体を使ってご栄光を現してくださいます。(1コリント6.19-20)僕らは主のしもべ(奴隷)です。強制されたり虐げられているのではなくて、神様がこの体に一緒にいてくれる喜びに満ちた身分です。マリアは言いました。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」(38)同じように僕らも言いましょう。「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と。それは喜び、祝福、恵みに満ちた人生です。ハレルヤ!
(ローマ人への手紙 12章1節)
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
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