ルカ6.27-38
将来のためのNISAもいいけど、天のお父さんに喜ばれ、宝を積み、天の喜びが心の中に注がれることはもっともっと価値があります。敵を赦し、敵に与えることは、めちゃめちゃ神様に喜ばれる宝です。しかもその宝は将来与えられるだけでなく、地上にいながらにして共有することができます。
イエス様が地上に来てくださったのは、イエス様を嫌い、罵り、唾をかける罪人のためです。不敬虔な罪人を愛し、赦すために全てを手放して降りてこられ、罪人のためにいのちを捨て、与えてくださいました。イエス様は苦むだけのかわいそうな人ではありません。神様の願いを実現するひとり子としてめちゃめちゃ喜ばれてます。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」と天から声がします。(マタイの福音書 3章17節)そのイエス様の御霊が僕らの中に住んでいます。イエス様と同じように、敵から嫌われ、憎まれ、それでも赦し愛する時、神様はめちゃめちゃ祝福してくださってます。だから「躍り上がって喜びなさい」といわれています。
"人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
その日には躍り上がって喜びなさい。見なさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。"
(ルカの福音書 6章22~23節)
イエス様は敵を愛しなさい、赦しなさいとおっしゃいます。聖書が教える「愛」は「イイ感じ、あたたかな気持ち」とは違います。「赦す決断、与える決断」そして「犠牲を払う決断」です。
"しかし、これを聞いているあなたがたに、わたしは言います。あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。
あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬も向けなさい。あなたの上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。
求める者には、だれにでも与えなさい。あなたのものを奪い取る者から、取り戻してはいけません。"
(ルカの福音書 6章27~30節)
敵を愛して赦して与えても、ますます攻撃され傷つくだけかもしれません。
ところが、それはめちゃめちゃ神様に喜ばれています。神様の子どものしるしだからです。聖霊を受けた神様の子どもは神様の願いを実行に移します。神様の愛は決断と行動です。でも、そこには御霊が与えてくださる喜びと平安と自由があります。神様に喜ばれ、しかも「受ける報いは多い」です。
"しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。
あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。"
(ルカの福音書 6章35~36節)
敵を赦し与える決断には褒美があります。しかもその宝は地上にいても与えられることもあります。神様は人を通して与えます。それは大きく、豊かで、僕らが持ちきれないほどです。
"与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。」"
(ルカの福音書 6章38節)
与える人は与えられます。損得じゃなく、取引じゃなく、神様の願いの通りに敵を赦し与える人は祝福されます。僕らにはできないけど、僕らの中にイエス様の御霊が住んでいます。イエス様が敵を愛し、敵を赦し、いのちさえ手放して与えてくださったことは、僕らの行動や決断に現れます。僕らはイエス様の体の器官です。天国のご褒美と喜びは大きすぎます。この世で損でも大丈夫です。いや、時間も力もお金も与えちゃいましょう。報いは大きすぎます。ハレルヤ!
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