2025年2月19日水曜日

レビ11.43-45

 レビ11.43-45


神様を信じることは、オマケで一応神様も信じておく、というようなものでなくて神様と繋がり、一体化し、神様の考えが自分の考えとなり、神様が嫌われるものは自分も嫌い、神様が願っていることは自分も願うようになることです。聖書が言う「聖別」は神様のものになることです。「聖なる者」とはいつでもどこでも神様のものとなっている人のことです。神様はそうなることを願っておられます。全人類の中から、神様は最初にイスラエル人たちを選んで救い出し、神様の聖なる人たちにしました。



"あなたがたは、いかなる群がるものによっても、自分自身を忌むべきものとしてはならない。また、それによって身を汚し、それによって汚れてはならない。

わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。あなたがたは、地の上を這ういかなる群がるものによっても、自分自身を汚してはならない。

わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるからだ。あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」"

レビ記 11章43~45節



神様に選ばれ聖なる民となったイスラエル人たちの中には「えー、私ヘビ好きなのに」とか、「カラス食べたかったな」と言う人がいたかも?しれませんが、自分の好き嫌いとか関係なく、神様がおっしゃったことが自分のものとなっていくのが聖なる人です。聖なるとは神様のものになることです。

この神様の願いと命令は、新約聖書でも繰り返されています。食べ物のルールはありませんが、神様が嫌うものを嫌い、神様の好むことをし、神様とひとつになっていくことは今も神様の僕らへの願いです。聖書はそれを何度も何度も僕らに伝えています。



"むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。"

ペテロの手紙 第一 1章15~16節



"神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。あなたがたが淫らな行いを避け、

一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保ち、

神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、

また、そのようなことで、兄弟を踏みつけたり欺いたりしないことです。(…中略…)神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためです。"

テサロニケ人への手紙 第一 4章3~7節



もともと、この世界は素晴らしく良いものでしたが、悪魔は人を誘惑し罪を犯させました。そしてこの世界は汚れたものとなってしまいました。そのような汚れたことから僕らは救い出されて再び神様のものとなりました。そしてさらに神様の願いを慕い求めていくこと僕らがさらに聖なるものとされていく歩みです。利己的なことや自慢やウソや悪口や肉欲は悪魔から出たものです。「えーポルノ好きなのに」とか「陰口悪口は楽しいのに」と思っても、それは神様から出たものではない汚れたものです。僕らも避けるべきものです。



"しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや利己的な思いがあるなら、自慢したり、真理に逆らって偽ったりするのはやめなさい。

そのような知恵は上から来たものではなく、地上のもの、肉的で悪魔的なものです。"

ヤコブの手紙 3章14~15節



"ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。"

ペテロの手紙 第一 2章1~2節



僕らの罪はイエス様の十字架の血によってきよめられました。「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」(ヘブル10.10)そして、さらに聖なる者となっていく途中です。神様が嫌い、僕らも避けるべきことは聖書にたくさんあります。


不品行を避けなさい。」(1コリンと6.18)

「みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。」(エペソ5.4)

「悪はどんな悪でも避けなさい。」(1テサロニケ5.22)

「俗悪なむだ話を避けなさい。」(2テモテ2.16)

「愚かで、無知な思弁を避けなさい。」(2テモテ2.23)

「(見かけは敬虔でも)自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者(…中略…)こういう人々を避けなさい。」(2テモテ3.3-5)

「愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などを避けなさい。」(テトス3.9)



神様が嫌うものは嫌い、距離を置きましょう。そして、神様が喜ばれるものを僕らの喜びとしましょう。僕らの心も体も神様のものです。「あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」すごい特権です。感謝しましょう!




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