2025年2月26日水曜日

レビ15.16-33

 レビ15.16-33



旧約聖書の律法によると、生理中の血も精液もそれに触れた人は汚れ、必要な期間を経てからきよめられる必要がありました。僕らの感覚では「なんで生理や精液が神様の前で汚れているの?」と思います。これは新約の時代の最初の教会でも論争になりました。結論から書くと、今は異邦人(イスラエル人以外)クリスチャンにとってこれらの律法は適用されません。だから、生理でも射精してもそれが罪だということはありません。安心しましょう。(使徒15.28-29)

まず、イエス様は律法を終了させました。というか、イエス様が最後の、そして完璧ないけにえとなり全ての罪と汚れをきよめてくださったので、もう儀式的な手順によってきよめられることは必要なくなりました。「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。」(ヘブル10.10)「なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。」(ヘブル10.14)


でも同時に、イエス様はそのような儀式的な汚れよりも、心の汚れの方が問題だとされました。心がきよめられることこそが重要です。(マタイ23.26-29など)レビ記は今日も僕らへのメッセージです。神様がどれほど僕らにきよさを願っておられるかがわかります。



(16-24)

16,男が精を漏らしたときは全身に水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

17,精が付いた衣服と皮はすべて、水で洗う。それは夕方まで汚れる。

18,男が女と寝て交わったなら、二人はともに水を浴びる。彼らは夕方まで汚れる。

19,女に漏出があり、漏出物がからだからの血であるなら、彼女は七日間、月のさわりの状態になる。だれでも彼女に触れる者は夕方まで汚れる。

20,彼女の月のさわりの時に使った寝床は全体が汚れる。また、彼女が座った物もすべて汚れる。

21,彼女の床に触れた者はだれでも自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その人は夕方まで汚れる。

22,また、何であれ、彼女が座った物に触れた人はだれでも自分の衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方まで汚れる。

23,彼女の床であれ座った物であれ、それに触れたなら、その人は夕方まで汚れる。

24,また、もしも男が彼女と寝るようなことがあるなら、彼女の月のさわりが移って、その人は七日間汚れる。彼が寝る床も全体が汚れる。



驚いたことに、生理や精液が個人の汚れの問題だと思ったら、それは神様の聖なる住まいの汚れだと聖書は言います。



(31)

あなたがたは、イスラエルの子らをその汚れから離れさせなさい。彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。」



個人の汚れが「彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し…」と言われています。イスラエル人たちはもはや個人ではなく、神様のものでした。彼らの汚れは神様の幕屋の汚れです。これは何度も繰り返されている主張です。


例えば、死人に触れて汚れた人がいることは「主の幕屋を汚す」ことでした。(レビ19.13)イスラエル人たちが自分の罪や汚れをきよめることは、主とお会いする天幕をきよめるためでした。(レビ16.16)汚れた人を追放する理由は「わたしがそのただ中に住む宿営を、彼らが汚さないように」するためです。(民数記5.3)イスラエルの真ん中に神様が住んでいました。そして、イスラエルは共同体として神様のものでした。要するに、彼らは神様とめちゃくちゃ近く、ほとんど一体とみなされた人たちです。だから、個人の罪は個人のことではなくて、直接、聖なる幕屋を汚す罪と言われます。しかも、それによって彼らが神様に殺される可能性もありました。神様は「彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。」と言われます。(13)


僕ら個人が個人のものでなく、聖なる神様の所有であり、その神殿であることは、新約の時代になっても同じです。特に、1コリントの手紙にはこの考えがはっきり書かれています。教会全体が神様の神殿です。



(1コリント 3:16-17)

「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。

もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。」



ここでは信者の共同体である教会が神の住まわれる聖なる場所と言われています。しかも「宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。」とあるので、個人の罪が教会全体に悪影響を及ぼし、もし教会を分裂させたり破壊することがあるなら、その人のいのちに関わるほどの大きな罪であることがわかります。



(1コリント 6:19)

あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。



そして僕らの「体」自体が神の神殿(宮)です。僕らの体に聖霊が住んでおられます。文脈的には性的な不品行を避けることの話だけど、体を神様の神殿としてきよく保つことが教えられています。

つまり、新約聖書で「神の聖なる場所」とはエルサレムの神殿ではなく、信者自身であり教会全体であることがわかります。だから今も個人の罪は教会全体に悪影響を与え汚します。


レビ記では「自分たちの汚れで死ぬことのないようにするため」(13)とありますが、新約聖書でも同じです。実際「神様の聖さが汚れた人間を殺してしまう」箇所はいくつかあります。例えば、聖餐を軽んじたコリント教会の人々には弱い人や病人や死んだ人たちが大勢いたようです。



(1コリント11.29-30)

29,みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。

30,あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです。



実際に淫らなことや派閥争いが横行しイエス様を軽んじていたコリント教会は病気になったり死んだ人が大勢いたようです。

レビ記が「彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。」(13)と教えるのと同じです。神様が聖なる神様であって、その方を軽んじ、罪を放置するなら神様の裁きがあることは他の箇所にも明記されています。



(ヘブル10.26-29)

26,もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、

27,ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。(…中略…)まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。



僕らは神様のものとなりました。僕らの体は神様の聖なる体です。そして、個人の体はイエス様の体につながる一部です。かしらと器官、木と枝のようです。だから神様の恵みを知りながら故意に罪を犯し続けるなら、「焼き尽くす火」のような神の裁きが待っている、という強い警告があります。僕らが自分をきよくするのは、イエス様のからだをきよくするためです。今日もクリーンでいましょう。ゴミを発見したらすぐ手放し捨てましょう。攻撃されたら赦しましょう。傷つけられたら祝福で返しましょう。僕らの体はイエス様の体、僕らの心はイエス様の心です。今日もきよくありますように。ハレルヤ!




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