詩篇71篇
どちらが正しいか主張しあって争うのが僕らの常です。政治でも子ども同士の喧嘩もそうだし、そして教会でも神学校でもよくある話です。真実を求めて発言するのは大事なんだけど、神様の前で自分を正しいと主張する人は義とされず、自分の罪と愚かさを認めている人が義とされると聖書はいいます。(マタイ18.9-14)だから「俺の方が正しい」と主張するのは神様の前では無理です。比べあってるのはどんぐりの背比べみたいなものかもしれません。「義」は神様以外にはありません。
ところが神様は、その完璧な「義」を僕らに与えてくれます。イエス様を信じるときに、イエス様の義をまるで服のように僕らにまとわせ、着せてくれて、恥をうけず責められないようにしてくれます。「主が私に救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださる」(イザヤ61.10)とあります。他の人から責められる時、自分で自分を責める時、いつも義と宣言してくださる神様にかくまってもらっていれば大丈夫です。
"主よ私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって私を救い助け出してください。あなたの耳を私に傾け私をお救いください。"
詩篇 71篇1~2節
救われるのは自分の義ではなくて、神様の「義」です。まるでイエス様の義が僕らに転嫁されたようです。どんな攻撃を受けても、イエス様が「あなたの罪は赦された」と言ってくださいます。(ルカ5.21、7.47、1ヨハネ2.12など多数)これが僕らの完全なディフェンスです。
"私の避け所の岩となってください。いつでもそこに入れるように。あなたは私の救いを定められました。あなたは私の巌私の砦なのです。"
詩篇 71篇3節
どんなに人から攻撃されても、イエス様を信じる人は赦され、義と宣言されています。ここに逃れる人は恥を見ることがありません。「自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義」です。(ピリピ3.9)僕らはこの義を見上げ、心に留めるようにすれば大丈夫です。
"神である主よ私はあなたの力とともに行きます。あなたのただあなたの義だけを心に留めて。"
詩篇 71篇16節
今日も僕らはこの愛と義の神様に抱かれています。誰から何を言われても、神様は義と宣言してくださいます。感謝しましょう。イエス様にとどまりましょう。大丈夫です。ハレルヤ!
"私は生まれたときからあなたに抱かれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。
私は多くの人にとって奇跡と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。"
詩篇 71篇6~7節
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