2025年2月13日木曜日

レビ7.28-38

 レビ7.28-38


神様を忘れてお金が足りるかどうかばかり気にして計算するとおかしくなる場合が多いようです。僕らがささげるのは人のためでなく神様のためです。与えられるのもまた、人からではなく神様からです。

旧約時代の祭司は神様の働きをする人で、その生活も神様によって保証されていました。具体的には、人々がささげる動物のもも肉と胸肉が彼らのものとなりましたが、それは神様が「わたしが…与えた」とおっしゃいます。(34)祭司たちが受け取るものは「主から」のものです。「人から」もらったものではありません。また、人々も祭司にあげるのではなく「主に献げ」「主のところに」持ってきます。(29-30)



(29-34)

29,「イスラエルの子らに告げよ。交わりのいけにえを主に献げる者は、自分の交わりのいけにえのうちから、そのささげ物を主のところに持って行かなければならない。

30,その人は自分の手で主への食物のささげ物を持って行く。その脂肪を胸肉と一緒に持って行き、胸肉を奉献物として主の前で揺り動かす。

31,祭司はその脂肪を祭壇の上で焼いて煙にする。その胸肉はアロンとその子らのものとなる。

32,あなたがたは、自分たちの交わりのいけにえのうちから右のもも肉を、奉納物として祭司に与えなければならない。

33,アロンの子らのうち、交わりのいけにえの血と脂肪を献げる者が、その右のもも肉を自分の受ける分とする。

34,それは、わたしが、奉献物の胸肉と奉納物のもも肉をイスラエルの子らから、その交わりのいけにえから取り、それらを祭司アロンとその子らに、イスラエルの子らから受け取るべき永遠の割り当てとして与えたからである。」



聖書は、祭司が人々からお肉を分けてもらうのではなく、「神様が」与えてくださることを強調しています。



(35-36)

35,これは、アロンとその子らが祭司として主に仕えるようになった日に、主への食物のささげ物のうちから彼らが受け取る分となった。

36,それは、イスラエルの子らから取って彼らに与えるようにと、彼らが油注がれた日に主が命じられたもので、代々にわたる永遠の割り当てである。



このように、旧約の祭司 = 神殿での働きに専念する人々は神様から日々の糧を与えられていました。同じように、僕らが日々与えられるお金は職場からの給料だけど、実は「神様が」お客さんや職場を経由して与えてくださるものです。クリスチャンはみんな祭司だと聖書は言います。みんなフルタイムの働き人です。だから、イエス様は「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。」(マタイ6.31)とおっしゃいます。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6.33)まずは神様に感謝です。全てを与え生かしてくださるのは神様だからです。


クリスチャンはみんな祭司ですが、教会の中には他の仕事をやめて福音のために専門的に働く人がいます。その人たちの生活もまた神様が支え与えてくださいます。だからその人は給料が、教会の財政が、とか、献金してくれる人の人数が、とか気にしなくていいようです。神様が与え支えてくださるからです。


みことばを伝え教える働き人はキリストの体である教会がその生活を支えます。それは雇用関係ではなくて、神様がその人を支え与えてくださることの表れです。与えてくださるのは神様です。神様を忘れてお金が足りるかどうかばかり気にして計算するとおかしくなる場合が多いようです。ささげるのは人のためでなく神様のためです。与えられるのは人からではなく神様からです。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿