2025年3月19日水曜日

ルカ14.12-14

 ルカ14.12-14


イエス様は「自分を捨てて従いなさい」とおっしゃるけど、それ実は、見返りを求めなさい、自分が祝福されることを求めなさい、天からの報いを求めなさいって話です。この世の報いや評価を手放すその先には、圧倒的な天からの報いがあります。地上の報いは一時的で虚しいものです。消えていく儚い評価とか物質的なものじゃなくて、神様からの永遠の喜びや祝福を求めて生きるようにイエス様は言われます。

自分を捨てるように、与えるようにイエスは何度もおっしゃってるけど、続きにはいつも圧倒的な報いやお返しがあると書かれています。



"イエスはまた、ご自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しをすることがないようにするためです。

食事のふるまいをするときには、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。

その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」"

ルカの福音書 14章12~14節



相手からよく思われるとか、得になりそうな人たちと付き合うとか、そんなことよりも神様に喜ばれ、神様からの報いを受ける方がずっと得です。人に知られず貧しい人に与えたことは、いつも神様からの大きな報いにつながります。



"あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。

あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。"

マタイの福音書 6章3~4節



イエス様は自己犠牲を求めているように見えて、実はそれよりも大きな報いを与えようと願っておられることがわかります。



"イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。"

ルカの福音書 9章23~24節



この世のものを失うほどに、僕らはもっと素晴らしいものを得ます。天の見返りを求める野心的?な生き方は、イエス様の教えに反するどころか、むしろ中心です。人から認められなくても、お金を失っても、競争に負けても、不自由になっても、それで神様に喜ばれ祝福され報いを受けるならいいに決まってます。手放したものより何倍も大きなものが約束されています。(マルコ10.29)「あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」(ルカ14.14)この世の報いや評価を手放すその先には、圧倒的な天からの報いがあります。ハレルヤ!

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