ルカ22.63-71
「なんで私が苦しめられなきゃなんないの?!」ということが起こります。この世界は罪と悪に満ちています。それをイエス様は雲の上から見ているのではなく、その一番ひどいところに来てくださり、苦しめられる側になってくださいました。その苦しみの中で、僕らにどのように生きたらいいのか、「その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。」(1ペテロ2.21)と聖書はいます
"ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。"
ペテロの手紙 第一 2章23節
イエス様はひどい扱いをされました。
一睡もしてないイエス様を休ませることなく、遊び感覚で目隠しをして「誰が殴ったでしょう?」と、ふざけて、何度も何度も殴られ続けました。
"さて、イエスを監視していた者たちは、イエスをからかい、むちでたたいた。
そして目隠しをして、「当ててみろ、おまえを打ったのはだれだ」と聞いた。
また、ほかにも多くの冒瀆のことばをイエスに浴びせた。"
ルカの福音書 22章63~65節
イエス様は「預言者」と言われていたし「隠れていたことも知っている」と評判だったので、あえて「殴ったのだーれだ」とからかったようです。イエス様は一言も言い返さず、全部を受け入れて忍耐しました。これはそのほんの一例です。他にも多くのことをして、イエス様を冒涜したとあります。(65節)イエス様は神の子であり、神ご自身です。
"だが今から後、人の子は力ある神の右の座に着きます。」
彼らはみな言った。「では、おまえは神の子なのか。」イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。」"
ルカの福音書 22章69~70節
「神の右の座に着く」とは、旧約聖書に預言されている神様の権威を持つ「人の子」(ダニエル7.13-14)という意味です。イエス様は次のように預言されています。
"この方に、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、この方に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。"
ダニエル書 7章14節
すべての権威と力を持っている神様が、一瞬で世界を滅ぼす神が、その力を使わずに誰よりも低くなり、殴られ、笑われ、唾をかけられ、殺される側になってくださいました。これが僕らの模範であり、イエス様によるお手本です。
"もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。"
ペテロの手紙 第一 2章19節
"このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。"
ペテロの手紙 第一 2章21節
このイエス様の忍耐はそのままでは終わりません。イエス様は誰より低くされて殺されましたが、復活して誰よりも高くされ、全ての栄光と力を持っています。(ピリピ2.9)イエス様は何度もおっしゃっています。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカ14.11)
僕らにも「なんで私が苦しまなきゃなんないの?!」ということが起こります。今日もあるかもしれません。それでもイエス様が僕らの中におられます。一緒に祈ってくださり、力を与えてくださいます。神様が必ず高めてくださいます。だから忍耐しましょう。赦しましょう。
イエス様の苦しみは僕らの模範です。そのままで終わることはありません。それは「神に喜ばれることです」(1ペテロ2.19-20)大丈夫です。喜ばれています。ハレルヤ!
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