ヘブル10.1-18
信じられないかもしれないけど、僕らは完全に聖なる人です。神様がそう宣言しておられます。
"このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。"
ヘブル人への手紙 10章10節
"なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。"
ヘブル人への手紙 10章14節
イエス様が流された血の効力は完璧です。イエス様の血によって僕らは無罪とされ聖なる人とされました。僕らは「いやいや、あれやっちゃったし、これもあるし」と言いますが、イエス様は「彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われます。(10章17節、8章12節も同じ)僕らは赦され、きよめられ、神様の前で罪が消された人です。
"「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われるからです。
罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。"
ヘブル人への手紙 10章17~18節
もちろん今日も内側から悪い心が出てきます。「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。」(ヨハネの手紙 第一1章8節)それでも神様は「もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」とはっきり言われます。(10章17節)神様は思い出さない、と言ってるのに、僕らはほじくり返しては悲しんだり責めたりしがちです。赦しもきよめは完成しています。あとは、僕らがそれを信じて受け取り感謝して賛美するだけです。律法に書かれたあらゆる種類のいけにえやささげ物のルールは廃止され不要になりました。
"以上のとおり、キリストは「あなたは、いけにえやささげ物、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物、すなわち、律法にしたがって献げられる、いろいろな物を望まず、またそれらをお喜びになりませんでした」と言い、
それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。
このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。
さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、
キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、
あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。
なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。"
ヘブル人への手紙 10章8~14節
イスラエルで今も続いているいろんな儀式にこだわる必要はないです。神様が「第二のものを立てるために、初めのものを廃止」とおっしゃるからです。(10章9節)イエス様の血によって、僕らのきよめは確定しています。赦しも確定しています。だから自分の罪のあら探しはやめて、他人のあら探しもやめて、ただイエス様に感謝しましょう。イエス様の御霊は「人がした悪を心に留め」ません。(1コリント13.5)
今、僕らがささげるいけにえは感謝と賛美だけです。今日も賛美しましょう。「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」(13章15節)ハレルヤ!
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