ヘブル9.14
神様を愛したり、隣の人を愛したりするのは、強制されるのではなくて、自分の心で決めた通りにしなさいと、いいます。(第二コリント9章7節) 僕らの現実は、正しいと分かっていても気が進まないことも多いと思います。
心には2種類あって、神様とつながったと心とつながらない心があるようです。神様とつながらないと自分だけで生きようとします。
神様とつながった心は、充電器にもWi-Fiにも繋がってOSが最新バージョンになる携帯みたいに、神様によって新しくされ続け、変えられ続ける心です。逆に神様とつながらない心は、充電器もWi-Fiもないスマホみたいです。自分だけで生きようとしても弱いものです。
イエス様の血は僕らの心を神様とつながるものとして、命が溢れる神様にお仕えする人に変えてくれます。
"まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。"
ヘブル人への手紙 9章14節
みんな良心を持っています。…ですが、その良心にも罪や、恥の意識や、後悔や、歪んでいる正義感とか、良くないものがこびりついています。そんな僕らをイエス様の血はもう一度きよめ、神様の心にしてくださいます。神様につながった心は生きている神様に仕えることを選び続けます。逆に、神様から離れた心は神様から離れた「死んだ行い」を選びます。
今日もイエス様の十字架の血は僕らを死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にしてくれます。生きている神様にお仕えすることには平安と喜びがあります。それは死んでいく虚しい行動ではありません。どんなお金持ちも、美しい人も、有名人も死んでいきます。でも、イエス様によってきよめられた心は永遠に価値のあることを選びます。いやいやながらではなく、強制でもなく、心をそのように変えてくださいます。信じで今日もきよい、神様からの心を選択し続けましょう。大丈夫です。そのようにしてくださいます。ハレルヤ!
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