2025年6月6日金曜日

1列王3.3-15

 1列王3.3-15


「あなたに何を与えようか。願え。」(列王記 第一3章5節) 

僕らにも同じように言われています。



"求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。"

マタイの福音書 7章7節



この時ソロモンはまだ18歳か19歳にだったと言われています。経験もスキルも何もない彼が王様に就任した時に必死に神様に求め、献身を表す生贄をささげた時に神様から言われたのが「あなたに何を与えようか。願え。」です。

彼は正直に求めました。自分は子どものようで何もわからないし、この人々を統治することはできないから、神様の知恵を、判断力を、神様の言葉を聞き分ける力をください、とです。



"わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。

そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。

善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。

神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、

見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。

そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいない。"

列王記 第一 3章7~13節



自分が弱いって思う時こそ神様に求める時です。自分の判断ではなく、神様の完璧な判断を求めるのは大正解です。自分の判断よりも絶対に正しく、はるか上を行く答えがそこにあるからです。

今日も神様を求めましょう。神様の義を求めましょう。目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢を求めても何もいいことがありません。(ヨハネの手紙 第一 2章16節)


神様の知恵を求めたソロモンには富と誉も与えられました。同じように神様は僕らに言われます。

「あなたに何を与えようか。願え。」(列王記 第一3章5節) 


神様を求め、神様の正しさを求めるなら、着るものや食べるものや住むところも、必要なことは全部与えられます。



"まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。"

マタイの福音書 6章33節



"何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。

私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。"

ヨハネの手紙 第一 5章14~15節



今日も求めましょう。願いましょう。

「あなたに何を与えようか。願え。」


0 件のコメント:

コメントを投稿